2019.11.25
シリーズ・徒然読書録~李琴峰著『五つ数えれば三日月が』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて

大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという

思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ

忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮し

つつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れない

と思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、李琴峰(り・ことみ)

著『五つ数えれば三日月が』(文芸春秋刊)。図書館の新刊本コーナーで目にとま

り手に取ってみました。

 

著者は台湾人で、早稲田大学院に留学後日本で活動。日本語で小説を書き、

前作で群像新人賞を受賞、本作品で芥川賞候補となりました。全く日本語

として完璧で、知らずに読むと日本語を母国語としない人の描いた文章と

は思えません。また、この短編の中に二つの著者作の漢詩が出て来ますが、

今の日本文学には縁がなくなってしまった、漢詩や中国の古典を下敷きに

した往年の日本の文化・文学を想い起させてくれるのは、可笑しくもあり、

寂しくもある点です。



蒸し暑い6月の夜。日本の大学院で同級生となった2人、中国西安に留学後

台湾に渡り結婚した日本人の浅羽実桜と、台湾から日本に留学し卒業後日本

の金融機関で営業職として働く私こと林妤梅(リン・ユーメイ)(日本人が

桜、台湾人が梅で名前でルーツを象徴させています)。その二人が5年振り

に出会い、池袋にある中国西域の回教料理屋で旧交を温め合う。ちぐはぐで

違和感のある二人の現状を象徴するような設定の短編小説です。

 

『近郷情怯』長年帰郷してない旅人がいざ故郷に帰ろうとする時、気持ちが

逆に怯えてしまうという意味の中国の成語。自分のいない間に何かが変わっ

てしまっていたらどうしよう、今の自分を受け容れてくれなかったらどうし

ようという不安感。その一方で、現在の異郷に溶け込めているとは実感でき

ず、現実から切り離されて虚空に浮かび彷徨っているような焦燥感。

 

『愛想笑いを浮かべる度に少しずつ自分が削り取られていくような気がした。

・・・実桜に「結婚して自由を奪われた可愛そうな女」という虚像を求めてい

た。きっとそんな虚像を見て助かろうとしていたのだ。』

 

『名前すら自分のものでなくなったように感じられた。・・・元々はこんな

つもりじゃなかった。なかったはずだ。なんでそうなったのだろう。何が間

違っていたのだろう。そんな時に実桜はベッドを出て、窓の前で月を眺めた。

月は確かな現実感と共に安心感をもたらしてくれた。月だけは、この場所で

も、ここじゃないあの場所でも、常に同じ形をしている。』

 

『「錯覚か」実桜は空を見上げた。空には三日月が懸っていた。「世の中の

大抵のものが錯覚かもしれないね。あの月だって本当は欠けてはいない。欠

けているように見えるだけ。でも綺麗でしょう?」』

 

『何一つ虚飾のない本当の気持ちだけれど、誰もが口にしている言葉であるが

ゆえに、気持ちそのものまで嘘っぽく聞こえてしまったように感じられた。も

しそんな言葉を介してではなく、気持ちそのものを自分の中から取り出して、

そのまま見せることができたらどんなに良かったか』

 

 

異国異郷で暮らす二人がそれぞれに味わう不安は、実は人間の存在そのものの

持つ違和感や不安感であり焦燥感でもあります。著者は、二人の特異な境遇と

無国籍感溢れる池袋の料理店と言う不安定な状況設定によって、それを判り易く

象徴的に描いて見せました。

 

優れた短編小説であり、優れた作家だなぁと、感じ入りました。