2013.06.15
盛岡紀行①~どぶろく屋と『壬生義士伝』
あれもこれも担当の千葉です。
先月、経済同友会の全国セミナーが盛岡市内で開催され、参加して来ました。
盛岡駅とはほんの指呼の間、街の真ん中を悠然と流れる北上川越しに聳える岩手山。
雄大なパノラマに、駅前の開運橋(良い名前ですね)の上で暫し見惚れてしまいました。
この時既に、今を遡ること1世紀半前に盛岡と岩手山に別れを告げて動乱に身を投じた
男のことがちらりと脳裏を過ぎりました。
食事の後に同輩達と街に繰り出し、地元の方のお勧めのなかから、どぶろくという響き
に惹かれて『南部どぶろく屋』という料理屋に入りました。
床に埋めた甕から掬うご当主自慢のどぶろくの旨さといい、雪国の農家特有の『曲
がり家』を彷彿させる店の造作といい、夕食後だと聞いて少量ずつ出してくれた南部
料理(馬刺し、寄せ豆腐、しどけと呼ばれる山菜や、ひっつみ汁など)の美味しさとい
い、一同大喜び。
それにも増して一同が喜び感心したのが、ご当主との会話の楽しさでした。地理から
歴史からビジネスから、知性溢れながら角が立たぬ柔和なお人柄。
それもそのはず、よくよく聞けばご当主の八巻さんは、法律を勉強した後に公認会計
士の資格をとり、長く監査法人勤務をされた経験の持ち主。また、合格した東北大学
を蹴って東京の私大に進み、親に勘当されかけたというやんちゃな面も。そのためか、
どぶろくとお料理とご当主を慕って駆けつける財界の要人や芸能人が数多く、壁には
色紙がところ狭しとひしめいています。
そんな中に映画『壬生義士伝』のスタッフの色紙を発見!数時間前に岩手山を見て
脳裏に灯った種火の火足が伸び、勢い南部盛岡藩の歴史やら、幕末の戊辰戦争で
は官軍に組みするを義とせず秋田藩との戦いを選んだ南部武士の気骨などのお話
しをせがんでしまいました。
浅田次郎著『壬生義士伝』は、南部盛岡藩を脱藩し新撰組に身を投じた吉村貫一郎
が主人公の小説。新撰組では剣の腕は立つものの、吝嗇で生への執着心が強いと
いう一般には評価の思わしくない吉村貫一郎像を覆し、作者は、大正時代の新聞記
者が関係者へのインタビューを重ねて行くという構成の中から、実は家族や友人へ
の愛と、武士としての忠義を最後まで貫いた新撰組きっての気骨の義士としての吉
村像を浮かび上がらせる。まこと以って浅田次郎という小説家は文章の巧みな作家
だなとつくづく感じさせる名作です。(因みに映画もドラマティックな構成になっていま
す。)尚、浅田次郎には『輪違屋糸里』という、やはり新撰組を扱った小説もあります。
こちらは初期の新撰組の中心人物、芹澤鴨の暗殺をテーマにしたもの。近藤でも土
方でも沖田でもなく、芹澤や吉村を主人公に選ぶところが浅田次郎の気骨なのかな、
などと感じてしまいます。
南部・盛岡の自然と人柄に温められた晩となりました。
私が北上川越しの岩手山を眺めた盛岡駅前の開運橋の別名は『二度泣き橋』と言う
とご当主に教えて戴きました。サラリーマンが転勤で盛岡に来て最初にこの橋を渡る
時に、何と遠くに来てしまったと泣き、転勤を終えて盛岡を去る時に、この橋を渡りなが
らこの地を離れがたくまた泣く、それ程盛岡は住んで素晴らしい街だということなので
しょう。