2013.07.10
熱海 起雲閣
熱海 にわか宣伝マンの本間です。
今回は、既に行ったことがある方もいると思いますが、起雲閣(きうんかく)の紹介です。
熱海市のにわか宣伝マンとしては更に多くの方に訪問していただき、熱海市の活性化にご協力をいただかなければなりませんので紹介させていただきます。
起雲閣の歴史ですが、丹那トンネルが開通した当時(1919年(大正8年))の鉄道大臣であった「内田信也」という人の実母の静養の場所として築かれ別荘で、公開されていない岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となっているそうです。
1925年(大正14年)に東武鉄道グループの礎を築き、「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎の手に移り、ほぼ現在の形となったようです。
1947年(昭和22年)には別の所有者により民間旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎えました(起雲閣という名称は旅館時代の名付けられた)。
山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、船橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきた建物です。
市街地にこじんまりと、ではあるけれど緑豊かな庭園、日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ、日本、中国、欧州などの装飾、様式を融合させた独特の雰囲気をもつ洋館などがあります。
正面入口の門(薬医門)です。
受付にとても美形の方がいました。
遠目から写真を撮ろうと思ったのですが、瞬間的に顔が隠れてしまいました。
1919年(大正8年)に海運王といわれた内田信也によって建てられた「麒麟の間」です。壁は旅館になってから塗り替えられたものですが、濃いブルー(群青色)で統一され、とても印象的でした。
館内にある洋室です。
左は神社や寺に見られる特徴と中国的装飾、アールデコが取り入れられています。
これも洋室(床のみの写真)。
こちらは英国・チューダー様式を取り入れた部屋の床です。規模は小さいが、一面にカラータイルが敷き詰められています。
洋室の隣にある「ローマ風」浴室。1929年(昭和4年)築。
かつて文豪たちが使用したといわれる部屋は展示室として解放されています。
以上一部の写真のみ紹介しました。
かなり以前の話(平成10年頃)ですが、旅館が廃業し競売物件となりました。
その際当時の熱海市長は、文化的価値を重視し、市が買い取って観光施設として活用したいと議会や市民に提案しました。しかし市財政が厳しい中で無駄使いであると散々非難されたのです。
最終的には市が買い取って現在に至っている訳ですが、結果として市内観光名所の一つとして多くの見学者が訪れていますし、また音楽サロン・ギャラリーなども市内外の方々に利用されているようです。当時の市長の判断は正しかった???
規模は小さいけれど、大正・昭和の浪漫あふれる名邸、起雲閣へ是非あなたも一度訪れてみてはいかがですか?(入館料 大人500円、水曜定休)