2013.07.16
盛岡紀行③~平泉・兵どもが夢の跡
あれもこれも担当の千葉です。

 

ひと月半も前になってしまいました。5月末の盛岡からの帰り道の午後、折角なの

で富士山より2年早く、平成23年に世界文化遺産に登録された平泉を訪れました。

平泉の世界遺産登録(『平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡

群』)の経緯については、その日の午前中、盛岡在住の直木賞作家・高橋克彦氏が

記念講演の中で触れていました。



当初、平泉を奥州藤原氏の浄土思想による統治の実証となる史跡群として文化遺産

登録を目論んでいたが、仏教によって民を治め平泉の地にこの世の極楽浄土を実現

しようとしたとする証拠は確認できないとの厳しい評価で、登録のためには戦略の再

構築が必要とされていたところに3.11の大震災が起こり、暴動や略奪があってもお

かしくないような過酷な状況下でも整然と冷静にお互いが助け合い譲り合う人々を見

て、ユネスコの委員達がなるほどこの東北の地には極楽浄土が存在するとして世界

遺産登録を認めた、という裏話です(真偽の程はおくとして)。

 



奥の細道の中で、芭蕉は平泉では2つの句を残しています。うち1つは中尊寺・金色堂

の句で、『五月雨の降り残してや光堂』。余りにも神々しくて五月雨(梅雨)も金色堂だ

けには降りかからないようだ、と解されますが、金色堂の保護のために覆堂(おおいど

う)と呼ばれる建物が金色堂を覆っています。ご覧の現在の覆堂は昭和43年の竣工。



芭蕉が平泉を訪れた時にも、旧覆堂が金色堂を覆っていたので、芭蕉の句は物理的

にも五月雨に濡れないこととかけているのでしょう。



中尊寺には金色堂と並んでもう1つ人気スポットが。7月6日の日経新聞の土曜日版

別冊の『NIKKEIプラス1』の何でもランキングでも、一度は訪れてみたい坂の第5位

に上げられていた『月見坂』。マイナスイオンたっぷりの雰囲気のある参道です。



中尊寺を降り切った少し南側、道路沿いに武蔵坊弁慶の塚がありました。



道路を挟み見上げる小高い丘が義経最期の地と言われる高館(たかだち)・義経堂。

藤原氏滅亡から500年、この地に立った芭蕉はもう1つの有名な句を残します。

『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』

 

更にもう少し南に行くと毛越寺(もうつうじ)。広大な大泉が池を中心にした伽藍跡と

浄土庭園。



平安後期の奥州藤原氏の栄華の跡としては中尊寺よりもむしろこの毛越寺の方が

私にはイメージがぴったりと来ました。

 

最後に車から見えたセブン・イレブンの看板。何か違和感が。良く見ると景観に配慮し

て色が通常のものとは変えてありました。他にもコメリさんもモノトーンの色合いだっ

たり、街ぐるみで世界遺産を守っているようでした。