2013.09.09
徒然読書録③~さだまさし著『風に立つライオン』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて見ました。皆様

のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回はさだまさし著、

『風に立つライオン』(幻冬舎)を挙げてみます。



歌手さだまさしは、デュオ・グループのグレープ以来、学生時代の私にとっては特別

な存在でした。どちらかと言えば洋楽一辺倒のロック小僧にとって、さだまさしの声は

頼りなく潔くなく感じられ、あまり興味はなかったはずでした。ところが高校2年生の春、

学園祭の前夜祭の夜に突然に亡くなった同級生を弔い、その夏の高原教室で志賀の

丸池に灯篭を流し、その頃流行っていたグレープの『精霊流し』を皆で歌って以来、

その歌詞に強く惹かれるようになり、ソロ・デビュー以降の4枚くらいまではLPを買い、

それこそ針が擦り切れるくらい聴き込みました。

 

さだまさしは、説明を要さないほど、今や老若男女、日本人なら誰もが知ってる国民

的歌手の一人ですが、小説も何篇か書いており、かつての熱烈なファンとしては、

『精霊流し』、『解夏(げげ)』、『眉山(びざん)』、『茨の木』、『アントキノイノチ』、『かす

てぃら~僕と親父の一番長い日』と、その全てを読んで来ました。そしてこの7月に

刊行されたのが名曲と同名の『風に立つライオン』です。

 

この『風に立つライオン』は、1987年のアルバム『夢回帰線』のなかの曲。アフリカで

の僻地医療に青春を懸ける青年医師が、母国日本に残してきたかつての恋人に宛て

た手紙、という設定の歌詞の曲。さだ氏の歌詞は、ヒトにたいする暖かな慈愛に充ち、

ストーリー性が高く情景を目の前に思い描かせてしまう特性があります。間奏の賛美

歌『アメイジング・グレイス』がとても印象的な綺麗で素晴らしい作品です。

 

小説では更に幅が広がり、第一部では、幼い頃にシュバイツァーの伝記を読んで医

師を目指し、『ダクタリ・ジャポネ(日本人のお医者さん)』と敬意をもって呼ばれたこ

の青年医師『航一郎』のケニアでの奮闘ぶりが爽やかに描かれ、第二部では内戦

激しい南スーダン国境付近で出会ったケニア人の少年を心身ともに救い癒して行く

さまを描いています。そして第三部では、そのケニア人少年『コイチロ』が、航一郎

の意志を継いで医師となり、大震災直後の石巻で献身的な支援活動を行うさまが

描かれます。



(ケニアはアフリカ東海岸にある、旧イギリス植民地から独立した、英連邦に属する

共和国。首都はナイロビ。北はエチオピアと接している。南のタンザニア国境のす

ぐ向こう側に有名なキリマ・ンジャロ(現地語で白い山、という意味)がある。他は

かなり内戦の激しい紛争地域と国境を接しており、避難民の流入が激しく、その分

治安の維持にも苦慮しており、国境なき医師団などが多く出向いて貢献している

国でもある。西はかつて内戦の激しかったウガンダと接している。世界でも有数の

大きさの湖、ヴィクトリア湖もここにある。北東はソマリア。そして北西にこの小説

の舞台となったスーダン国境がある。ご存知南スーダンはこの度スーダンから独

立を勝ち得たが、宗教間(北はイスラム教、南はキリスト教)の対立や豊富な地下

資源を巡る紛争の終結は予断を許さないと言う。)

石巻では声を失った『あつお』が、あたかも『コイチロ』が辿ったと同じ道程で救われ

癒され、医師になりたいと志を立てる。『コイチロ』が『ドクター・ケニア』と呼ばれるよ

うになり、ヒトのために全てを擲ってでも尽くそうとする志のバトンがシュバイツァー

から『航一郎』へ、『航一郎』から『コイチロ』へ、そして『あつお』へとリレーされて行

きます。

 

激しい風に向かって立つ、群れを離れた孤高のライオン。辛さも悲しみも全て身の

内に仕舞い込む潔さ。『風に立つライオン』とはこのバトン・リレーされて行く崇高な

志の象徴だったのですね。

 

さだ氏の小説では『解夏』が最も好きですが、この『風に立つライオン』はさだ作品

の中では最も社会性が強く、その分細やかな内面への掘り下げが十分になし得な

かったかな、と少し残念でもありました。



歌詞『風に立つライオン』の言葉が小説にもあちらこちらに散りばめられており、小説

の奥行きを拡げています。ただ一点、歌詞の言葉とそぐわない部分があります。

歌詞には、『何より僕の患者たちの瞳の美しさ この偉大な自然の中で病と向かい合

えば 神様についてヒトについて考えるものですね やはり僕たちの国は残念だけれ

ど 何か大切な処で 道を間違えたようですね』とありますが、東北の大震災後の人

々の懸命で思い遣りのある言動を見て、日本に対する『失望』が、『希望』や『礼賛』

に変わったのではないかと感じました。その意味で、歌詞よりも小説の方が好きにな

りました。

 

最後に小説の中から幾つか引用を列記して終わります。

 

・「こんにちは」僕はいつも航一郎がしたように、子ども達の輪の中にしゃがみ込ん

でできるだけ丁寧にそういいました。「こんにちは」「こんにちは」子ども達は一斉に

立ち上がってお辞儀をします。ジャポネは子ども達までもみな、秩序を守って、礼

儀正しい。航一郎、あなたの自慢は本当でした。

(プロローグにあるこの文章で、最初から涙が出てしまいました)

 

・いいか、患者というものがいかに卑屈な思いで“お医者様”を見上げているのか、

その視線の哀しさを理解しろ

いいかい、患者や患者の家族はお前という人格に対して頭を下げているのでは

ないのだ、お医者という幻想に対して平伏しているのだ。

俺はなあ、お医者は聖職者だと信じているんだよ。

 

・涸れちゃ駄目だってあいつ、必死に自分と闘ってたんだろうなぁ。・・・大きな水源

がなければ大きな滝なんて生まれないってこと。人も同じだ、って航一郎は言っ

てたんだな。ずっと凄い滝でいるには自ら巨大な水源であれ、ってこと。確かに

僕らはね、自分の心の水源が涸れることで自分という滝を失うんだろうな。

 

・あなたの冷たいまなざしは、大人達の心の、最も後ろめたい部分に突きつけら

れた“真実の刃”だったと思います。・・・・子どもといえども、人にはそれだけの

力があることを信じてください。そしてそれに応えようとする大人がどこかにきっ

といることも。

 

・自分たちがして貰った嬉しいことは人にしてあげるってのがワカコの“教育”だよ。

そのかわり自分がされて嫌なことは人にしないって。“自由”ってのはそういう約

束がないと、“利己主義”になるらしい。・・・・それにしても世界中で日本人だけじ

ゃねえのかい?「人に迷惑をかけるな」なんて教えてるのは。いや、バカにして

るんっじゃないよ。尊敬して言ってる。

 

・「お願いだから、しあわせになってください」 余計なことは何ひとつ書いてありま

せん。たった一行の手紙でした。私の苦しみも私の領分も、彼自身の苦しみも、

彼自身の領分も何もかも呑み込んでそう書いてくれたのでしょう。 そういう人で

した。 「お願いだから」 この一言に為すすべのない私達の思いが重なっていた

のだと思います。

(ここも、歌詞とは異なります。歌詞はその全てが『手紙』ですが、小説の中では

たったの一行です。これで通じてしまうお互いへの信頼と敬意、感動です。)

 

・僕達が一番救い出したいのは“思い出”なのです。にもかかわらず、そのことが

一番難しく、危険な作業です。

 

・元来、人が快適に共存するには全員が“自由勝手気まま”なんて在り得ないん

だよ。フリーダムに“自由”ではなく“自助”と訳すべきだったな。自分が人にされ

て嫌なことは絶対人にしない、ってことが“自由”の条件さ。同じ現場にいる誰も

が、ほんの少しずつ我慢することで秩序ってものが生まれるんだ。

 

・被災者が暮らしているのではなく、人間が生活している。 この言葉は重いで

す。 他の町の人々は常に“可哀想な被災者”という視点でものを言います。

被災者が被災者らしくないことを言ったりしたりすると、なぜかがっかりする傾

向があります。それは施す者が施される者を見下す視線のような気がします。

そして施す者は常に感謝の言葉だけを求めるのです。

 

・なぜなら僕は医師です。 「医師」とは「人間」が自らの命を懸けて、病と闘うと

きの呼び名なのですから。闘わない医師は医師ではありません。

 

・「医師が患者から奪ってはいけない最も大切なものはな、命じゃないんだよ。

希望なんだ」って。「だってよ。命はその人の身体の持ち物だけど、希望は心

の持ち物だろ?人はよ、身体だけで生きてるんじゃねえだろ?心で生きてるん

だからさ」って。