2014.08.02
シリーズ・徒然読書録~シェンケヴィッチ著『クォヴァディス』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記して見るのは自分にとって有益かもしれないと思い、始めてみました。

皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回ご紹介するのは、シェンケヴィッチ著、

『クォヴァディス』(上・中・下、岩波文庫・旧訳は絶版)。実はもうだいぶだいぶ昔、

大学生時代に読んだ本ですが、先日映画化された作品をビデオで見る機会が

あったので取り上げてみました。



シェンケヴィッチはポーランド人作家で、ノーベル文学賞を受賞しています。舞台は紀元

1世紀後半のローマ。皇帝ネロの治世下の激しいキリスト教弾圧。イエス・キリストの12人

の使徒の一人ペテロ(初代ローマ法王)がキリストの声を聴き危険なローマに戻って殉教

するシーン(ここで題名となる、ラテン語で、主よどこへ行かれるのか?の意の『クォ・ヴァ

ディス』が使われる)など、悪性に苦しむ庶民の間でキリスト教が迫害に合いながらも浸透

して行く様が描かれています。信者のヒロイン・リギアと軍人ヴィニキウスの燃え上がる

ロマンスは、まるで古代版ロミオとジュリエットのようで、この小説の華を構成します。

しかしひねくれ者の私は、映画では脇役ではありますが、悪政の道へと傾斜するネロ帝の

下での政争に敗れ、手首の動脈を開き晩餐の宴を催して時間を掛けながら死を選んだ貴族

ペトロニウスの諦念の美学とも言うべき典雅な生き様に、激しく憧れたものでした。

 

映画は1951年の作、ロバート・テイラーとデボラ・カー主演。毀誉褒貶が激しく入り混じる

第5代皇帝のネロの暴君ぶり(ローマの街の再建の為にローマを焼き払い、その罪を

キリスト教徒に負わせたとされている)を中心に据えたスぺクタル映画となっているのは

小説の趣とは多少異なり、小説の方が圧倒的に優れていると思いますが、キリスト教を

魚の絵で表すことがある理由がこの映画で謎解けました。私は単純に十字を切る手の

動きを一筆書きにしたのだと勝手に思っていましたが、ギリシャ語でイエス・キリスト、

神の子、救世主の3語の頭文字をとると、やはりギリシャ語の魚を意味する語となるのだ

そうです。