2016.01.20
シリーズ・徒然読書録~中脇初枝著『みなそこ』・小出正吾著『逢う魔が時』
あれもこれも担当の千葉です。



読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑とも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて見ました。皆様

のご寛恕を請うところです。



徒然なるままに読み散らす本の中からご紹介するのは、今回は中脇初枝著『みなそこ』、

新潮社刊。






四国の過疎化が進む山里の故郷『ひかげ』を出て行った小さな子連れの主人公、

『さわ』の里帰り。



望み通りに、橋を渡って、『ひかげ』を出て行ったのに、いろんなことを諦めてきた。

自分の腕の中で安心し切る乳飲み子ができると、好き合った者同志二人切りの時

のようには男を愛せない。それでいて生まれ育った『ひかげ』の笑顔に満ちた食卓の

家族に囲まれれば、『それはそれで幸せ。それこそが幸せ。』『いやなことは先延ばし。

のばした挙げ句に先に命のほうが尽きてしまっても、それはそれで幸せ。それこそが

幸せ。』



『ひかげ』の名物行事、女郎蜘蛛相撲のために捕まえられた蜘蛛は、『どこまでだって

逃げられるのに、逃げようとしない。連れてこられた庭の中で、自慢げに巣を張る。・・・

自分の庭を離れたら、もう、蜘蛛の区別はつかない。そして蜘蛛は、自分が捨てられた

ことにさえ気づかない。捨てられた場所で、不平も言わずに巣を張る。』



『取り返しのつかないことがなんでこんなに多いんだろう。そう思って、すぐに打ち消した。

取り返しのつかないことがあるんじゃなくて、取り返しのつくことなんてないのだった。なに

ひとつ。』






物語の中で、『ひかげ』と外部を分ける象徴とされる橋が、平時は川面の上にあるが、

洪水時には『水底(みなそこ)』に沈んでしまう『沈下橋』(洪水時でも沈まないのが

抜水橋と言うのだそうだ)。沈下橋ではないのに、なぜかこの小説を読んでいる間、

我が三島出身の著名な児童文学者・小出正吾先生の小品、『逢う魔が時』を想い出し

ていました。『逢う魔が時』に出て来るのは、水量の多い三島を流れる小川に掛る、

水面すれすれの欄干のない橋。普段は何ともない流れなのに、ひとたび流されると

しばらく下流の淀みまで流されてしまう(『河童に尻子玉を抜かれる』)橋。



小学生の頃、水泉園(白滝公園)で水遊びした帰りに、梅花藻がたなびく水上(みな

かみ)の桜川を、浦島さんまで泳いで帰りました。水は身を切るほど冷たく、長くは

浸かっていられないために、何度も何度も桜川に掛る小さな橋によじ登っては甲羅

干しをしました。水量が多く、道路面ぎりぎりに水面があったため、容易によじ登れた

記憶があります。



最後は水の都・三島の自慢となってしまい、失礼致しました。