2014.12.04
シリーズ・徒然読書録~『蛙はなん匹?・・・芭蕉の「古池や」の謎を解く』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様

のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回は2冊です。



鶴田正道著『蛙は、なん匹?ー芭蕉の「古池や」の謎を解くー』(風媒社、中部大学

ブックシリーズ)。

 

桑名西ロータリー・クラブの会員でもある著者の鶴田氏が27年間勤めた中部大学を

退職する記念に出版されたもので、以前、ロータリー・クラブの会報誌に紹介されて

いたことからこの本を知り、取り寄せてみました。

 

古池や 蛙飛び込む 水の音  芭蕉

 

誰もが知っているこの句、でも誰もが勝手に判った気になっている句でもあり、著者

は、なぜ「かえる」でなく「かわず」なのか?「蛙」は何匹か?などの単純な疑問を解き

明かすことによりこの謎に満ちた句の本質を明らかにして行く文学書。その過程では、

連歌と俳諧連歌の違い、俳諧の発句と俳句の違い、芸術の大衆化による堕落、日本

語の曖昧性、桑原武夫の第二芸術論、芸術の専門性などの諸論点の考察が繰り広

げられて行く。何とも中身の濃い本でした。

 

結論的に言えば著者は、この句は、諧謔を本意とする俳諧の発句であり、本歌取りの

ように極めて専門性の高い知識を有する俳諧の連衆仲間のために読まれた句である。

しかしそのような背景から離れて、現代の我々がこの句だけを取って評価するのであ

れば、何の芸術性もない駄作であると言う。

 

では背景はというと、この句は、西行法師の名句

『心なき 身にも哀れは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ』

をパロディ化した俳諧句であり、芭蕉が敬愛する西行への挨拶句であり、西行の句

が侘しく幽玄な世界であるのに対して、芭蕉の句は長閑で陽気で滑稽な、俗の世界

である。ただ、その滑稽さこそが俳諧だけが持つ特性であり、俳諧師芭蕉の得意・誇

りが凝縮された句であると言う。そして居並ぶ連衆仲間はこういった背景は当然判っ

ている専門家達であるため、拍手喝采でこの句を迎えたことであろうと。

 

『俗』を詩情化することこそ想像力であり、芸術である、という言葉が印象に残りまし

た。

 

 

もう一冊は、昨年の高校の同窓会の受付で薦められた、同窓の先輩作の小説。



九条之子著『ヴィーナス』(日本文学館)。

女子大生4人組の軽快な小説でした。

 

美人の著者にサインをして戴いた上に、握手までして戴きました。