2015.10.28
最近の新聞記事から~『和魂洋才』と『合理的な矛盾』
あれもこれも担当の千葉です。

 

最近の日経新聞を読んでいて、懐かしく学生時代を思い出す記事が二つありました。

 

一つ目は、文化欄の特集シリーズ『リーダーの本棚』に掲載されていた静岡県立美術館の

芳賀徹館長へのインタビュー記事です。毎回、各種分野のリーダーに自らの座右の書、

お気に入りの本を紹介してもらう企画ものです。

 



 

芳賀館長が挙げられた座右の書・愛読書11冊のうち、4つが句集・歌集で、中でも

ふるさとの自然や少年時代を想起させる蕪村、斎藤茂吉がその先頭に挙げられて

います。館長は比較文学・比較文化がご専攻ですが、比較の基軸となる日本文学・

日本文化の根っこの一つなのかも知れませんね。

 



 

 

また、福沢諭吉の『福翁自伝』や杉田玄白の『蘭学事始』は、未知の文化・文明、

新しい時代に対する先人の好奇心と行動力が、自らを元気づけ鼓舞してくれると

仰っておられますし、更に、幕末・明治の名著からは江戸の気風と新時代を打ち

開く気概が伝わってくる、とも仰られています。その意味で、岩倉・大久保・木戸・

伊藤など政府中枢の指導者や官吏ら数十名が、未だ混乱治まらぬ明治4年から

2年近くにもわたり日本を留守にした岩倉使節団の公式随行記である久米邦武の

『特命全権大使 米欧回覧実記』を挙げられているのは、とても興味深い点です。

 

偶然にも、前回拙ブログにアップした読書録が泉三郎著『岩倉使節団という冒険』

でした。その中で著者は、黒船来襲以来明治期は、圧倒的な西欧文明(洋才)を

受け入れる一方で、日本人としてのアイデンティティ(和魂)をいかに保守するかを

模索した時代であったと書いていますが、まさに芳賀館長の見識の根本には、この

『和魂洋才』があるように思えました。

 



 

ところで偶然はもう一つありました。芳賀館長は私が大学の教養課程の頃に2年間

必修のフランス語の授業を教わった恩師でもあります。ですので私にとっては芳賀館長

は芳賀館長ではなく、ムッシュ・アガなのです。最初の講義で、先頭のHはアッシュ・

ミューエ(無音のH・発音しないH)なので、自分のことはムッシュ・ハガではなくムッシュ・

アガと呼ぶように仰られたのを今でも覚えています。

 

昨年、静岡県東部在住の大学同窓生の会でお呼びし、記念講演をして戴いた折にその

ことをお話しする機会がありました。当時のことを本当に良く覚えておられました。

なんと夏休みに八王子のセミナー・ハウスにフランス語合宿(!?!)に出掛けたことも。

『合宿の宴会で僕と相撲を取ったのは君か?』

『いえ、あれはH君です。私は、私が立ち上がるとどこからともなく落ちこぼれコールが

湧き上がりました。』

『で、きみは落ちこぼれだったの?』

『落ちこぼれコールを聞いた先生が出席簿(閻魔帳?)を見て、君はSか?とお聞きに

なられ、憤慨したS君が立ち上がって先生に猛烈に抗議しました。私はビリでないと

判って安心してしまいました。』

 

 

さてもう一つの記事は、同じく日経新聞のスポーツ面からです。

 



 

サッカー日本代表の本田選手。フィジカル面のタフさと並んでメンタル面のタフさが

重要で、矛盾や不条理に直面しても挫けず耐え忍ぶ精神力が必要だと言っています。

本田選手が今年創設した高校生チームのカリキュラムに、『合理的な矛盾』を入れて

いきたい、『矛盾トレーニング』みたいなのを入れられればいい、と言っています。

 

旧制中学当時の番カラな校風をかろうじてまだまだ残していた高校生の頃のことを思い

出しました(私は3年間、電車とバスを乗り継ぎカランコロンと下駄履き通学をしましたが、

一方でオートバイ通学も許されてるような、自由な校風でもありました)。矛盾だらけの

先輩たちに抗議をしても『黙ってやれ』と押し通されてばかりの下級生の頃、自分たちが

上級生になったら矛盾を無くして行こうと思っていたのに、いざ上級生になった時には、

できる限りこの矛盾を残してやりたいと変わっていました。今の時代は意識してこうした

矛盾を残すことは難しい教育環境なのでしょうね。

 

 

最近の新聞記事から懐かしい学生時代を思い出すことができました。