2015.09.12
シリーズ・徒然読書録~『光の子供』と『九年前の祈り』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、
何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。
その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる
ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様
のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から気になった本、今回は2冊です。この2冊には
何の関連性もなく、ただ同じ頃に新聞の書評や広告に載ったために、同時期に読んだ
という脈絡の無さをどうぞご容赦下さい。
1冊目は、エリック・フォトリノ著、吉田洋之訳、『光の子供』(新潮クレスト・ブックス刊)。
著者は1960年生まれ、ル・モンド誌の元編集長で、この作はフェミナ賞の受賞作
でもあります。母親を知らない主人公のジルが、光の魔術師とも呼ばれ映画の撮影
技師だった亡き父の遺した沢山の女優たちのポートレイトを通して母親探しをする
物語。父親が死んだ日にリュクサンブールの映画館で出逢った、ジャルダン・
バガテールという香水を付けた既婚者マイリスとの恋愛が絡み合って行く。
父親は息を引き取る直前に、ジルが『映画のキス』から生まれたことを打ち明ける。
往年の映画を何作も何度も見ることで父と関係があった女優の母を探し求めるジル。
作中の主人公ジルが本書を書いているという重層構造。
どうしても探し当てられぬ母親の面影を恋人に重ね合わせてしまうジル。母探しを通
して本当は亡き父親を探し求めていたジル。
マイリスと離れてわかったことは、別れはいつも出逢いであるということ。
父親の残したポートレートからようやく母親かと思われる女性に辿り着くが、その
面影は、、、。
哀しき結末の、上品な悲恋の物語。往年のフランス映画がお好きな方には、ジャンヌ・
モローはじめ、きっと懐かしい役者たちが実名で随所に登場するのも楽しみではない
でしょうか。
2冊目は、小野正嗣著、『九年前の祈り』(講談社刊)。前回2014年下半期の芥川賞
受賞作です。
35歳バツイチのヒロイン安藤さなえの息子の名はケビン希敏。周りのものに無関心で
無表情、障害を抱えたケビンを連れて故郷に戻るさなえ。『まち』もずいぶん変貌して
いた。にぎわいの中心にあった五階建ての地元デパートはずいぶん前に民事再生法の
申請を行い、アーケード街に軒を連ねていた個人商店の多くが錆の目立つシャッターを
下ろしていた。
『発酵しつつあった恋に酩酊していた』
『朝の接近に漆黒の滑らかさを失いつつある夜』
『鳥は自由に飛翔するのがいちばんなのだ。自由に飛んでいいのに、それを邪魔する
ものは何もないのに、そして翼を広げて飛んでくれと懇願されてもいるのに、どうして
翼を折りたたんだままでいられるのか。お前が翼を折ったからだ。そう非難されている
ようで、さなえはちがう、そうじゃない、と否定する代わりに、息子の手をつかんだ。』
田舎からカナダへ研修旅行に行った九年前の記憶。ケビンをもうけることになった
カナダ人。『どこにも自分の居場所を見つけ出せず、なんとなく周囲に引け目を感じて
居心地が悪そうな人』との出会いの九年前の記憶。
九年前のカナダ旅行で知り合ったカナダ人と離婚し、外界を、母親である自分をも拒絶
したような幼児を抱えて戻った故郷も限界集落のような村。そんな行き詰まりだらけの
傷心のヒロインを癒して行くのは、村の自然と九年前の旅行に同行した純朴な故郷の
人々の記憶。
時折ヒロインの心中の葛藤が見せる白昼夢と現実と過去の記憶とが綯い交ぜになって
進む物語は、一種異様な味わいを醸し出します。これがこの小説の持ち味なのでしょう
が、好みの問題として残念ながら私には美味しく思えませんでした。白昼夢に対する現実
の卑近さがどうしてもザラザラした違和感を感じさせ、作為的な匂いの文体が心地良く
ありませんでしたが、皆様はどのように読まれるでしょうか。