2015.03.04
シリーズ・徒然読書録~『語れなかった物語』と『中東イスラーム民族史』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は
極めて大雑把、何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという
思いで、雑然と読み流します。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷
惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分に
とって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請う
ところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回はアーザル・
ナフィーシー著『語れなかった物語~ある家族のイラン現代史』(白水
社刊)です。



この本を図書館で借りて読もうと思ったきっかけは、以前新聞に掲載さ
れた書評です。



イランといえば、古代ペルシャの時代から文化度の非常に高い国民であ
り、世界の文化をリードしたことのあるお国柄であります。ところが今
のイランはイスラム原理主義のため、一見イラン人に我々と同じような
文化背景を想像するのは難しい部分もあるのですが、著者の思考は我々
と何ら変わりなく、著者の服装も音楽も映画の趣味もアメリカ流の我々
と何ら変わるところがないことは、当たり前と言えば当たり前なのです
が、新鮮でした。アーリア系民族は白人系であるので、日本人よりも余
程白人的なのでしょう。

この書評で(文字が小さいので判り難いかも知れませんが)凡そのこの
本の概要は解説されているので、今回は、読みながら私がメモした感想
や本書からの抜き書きをそのまま羅列して読書録としてみます。

 

 

物語も著者や主人公の拠って立つ位置によってその評価は異なるものと
自覚しながら読む。参考にこれも図書館で借り出した新書版のイラン・
中東史。イスラム国家の歴史を、アラブと非アラブのイランとトルコに
分けて解説。複層し競合する民族史が判りやすいコンパクトな解説書で
す。



『沈黙には様々な異なるかたちがある。強権国家が人々の記憶を奪い、
歴史を書きかえ、国家の決めたアイデンティティーを押し付けることで
国民に強いる沈黙。証人が真実を見ぬふりをしたり、語ることを拒んだ
りする沈黙、被害者が時に口をつぐむことによって共犯者になってしま
う沈黙。加えて、私たちが自分自身について、実生活を脚色したり作り
話を否定しないという沈黙もある。(中略)ある意味で、本書は私の
内なる検察官と審問官への答えなのだ。』

 

『本書で私が意図するのは、歴史上の時間を一般論として語ることでな
く、こうした危うい接点 - ある人の私生活や人間性が、はるかに大
きな普遍的な物語として呼応し合い、反映し合う場所と瞬間を伝えるこ
とである。』

 

『二十世紀の初めに祖母が誕生してから世紀の終わりに私の娘が生まれる
までの間に、イランをかたちづくった二度の革命があり、それがあまりに
多くの分裂や矛盾を生んだために、過渡期の混乱だけが恒常状態になって
しまった。』

 

アケメネス朝やササン朝ペルシャとして古代・中世には世界的にも最も先
進的な文化を築いて来たイラン。軍事的にはアラブ人の侵略に屈しモンゴ
ル人の侵略に屈しトルコ人の侵略に屈しながらも、宗教的にもゾロアスタ
ー教からイスラム教に転向を強制されながらも、イラン人としての誇りを
綿々と保ち続けた国民。ようやくイラン人による近代的な国造りを目指そ
うとする頃にはロシア・英国・米国の帝国主義に翻弄される。日露戦争で
の日本の勝利に触発され1905年ガジャール朝時に中東初の憲法公布・
国王を法の支配下に置く。

ロシアの後ろ盾でクーデターに成功したパーレヴィが1925年にパーレ
ヴィ朝を開き欧米的・中央集権的近代化を目指す。宗教的原理主義と政治
的絶対主義に根本から支配されていた社会が一瞬にして脱宗教的近代化を
遂げる。が、2度の世界大戦は英・米・露の利権を大きくし、1945年
以降は米ソ対立の舞台の一つに。1951年、一旦は英国の支配下にあっ
た石油産業の国有化に成功(小説『海賊と呼ばれた男』で描かれた、出光
興産が自前のタンカーを差し向けイラン政府から喝采を受けた時期)する
も、1953年CIAの画策によるクーデターで石油産業は再び英米メジャー
の支配下に。1962年白色革命。大規模な社会経済改革で欧米流近代化、
親米路線。1979年ホメイニ師の下にイスラム革命。二千五百年続いた
王政から共和国に。多くの民衆が期待をする中で極端なイスラム原理主義が
次第に失望を買って行く。1980~1988年、米国の後押しを受けた
フセイン・イラクとのイ・イ戦争。反米を煽ることで民衆の結束を図る体制。

 

オスマン・トルコへの対抗から国教をスンニ派からシーア派に。イスラム原
理主義と自由主義の対立。保守主義と西欧流近代主義の対立。欧米露の覇権
争いとの絡み。分けても米欧の石油メジャーと民族主義の対立。幾つもの対
立軸が複雑に絡み合った構図の中で翻弄されたテヘラン市長を父に持つ著者
の家族の物語。

 

『人が真価を発揮するには、あるがままを認められること、あるがままの姿
を見てもらい、愛してもらうことが必要だ。では母はどんなふうに認めてあ
げればよかったのだろう?』

 

『父は私に物語を与え、持ち運びのできる家庭をくれた。母については複雑
だ。私が本に出会い、この職業に出会ったのは、さらに言えば現在の家庭を
持てたのは、母のおかげでもあり、母と言う障害を乗り越えてでもある。皮
肉なことに私は、最終的に、母が望んだとおりの、あるいは母自身がなりた
かったとおりの大人になった。家族と仕事を両立させる女性に。』

 

『愛と喜び同様、苦痛と喪失も人それぞれで個人的なものだ。ほかと比べる
ことで和らいだりするはずがない。』

 

『父はだれも奪うことのできないもうひとつの世界に旅することで主導権を
取り戻す方法を教えてくれた。イスラーム革命後、私は平凡な日常のいかに
脆いものかを知った。私たちが気楽に家と呼ぶもの、私たちにアイデンティ
ティーを与えてくれるものすべて、自我と所属の感覚などが、いともたやす
く奪われてしまうことを知った。そして父が物語を通して教えてくれたのは、
地理にも国籍にも、他人が奪うことのできる何ものにも依存しない、真の家
庭を自分のために作る方法だったのだと気づいた。(中略)両親の死後はじ
めて、私はふたりがそれぞれのやり方で、記憶を保存でき、人や時代の暴虐
をはねのけてくれる、持ち運びのできる家庭を与えてくれたのに気づいたの
だった。』

 

イスラム原理主義の時代には語れなかった物語と、父母が存命の間は語れな
かった家族の、とりわけ母娘の愛と確執の物語。イランの現代史を窺い知る
良著であると同時に、普遍的な家族ドラマとしても優れた本でした。