2021.02.05
シリーズ・徒然読書録~浅田次郎著『おもかげ』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、浅田次郎著『おもかげ』毎日新聞出版刊。これも昨年読んだ浅田次郎作品から。ご多分に洩れず新聞の広告を見て図書館のお世話になりました。
先月アップした『流人道中記』『大名倒産』が江戸時代を舞台に閉塞した武家社会の矛盾を描き出し、変容変革を恐れて硬直化しかけている現代へ鋭い警鐘を鳴らす書であったのに対して、本作は昭和から平成の現代を舞台にしたファンタジー小説です。『○○さんはナビを見ないね』『はい、どうも信用できなくて』『そうだね。世の中、信用できないものだらけになった』『経験と勘のほうが、まちがいありません』という世代の男たちの物語。古き良き昭和の時代の物語ですが、団塊の世代の最後にあたる主人公とその親の世代の人生を俯瞰することによって、貧しかった戦争前後の社会の必死懸命さに比べて、高度経済成長期以降の豊かさゆえに迷走する現代人への警鐘の書としているのは共通した構図です。
昭和26年のクリスマス・イブに、生まれたばかりで捨てられた主人公。65歳の定年の送別会の帰り道、地下鉄の車内で倒れ、3日後に意識だけが目覚めて、幽体離脱のように時を遡り、戦後間もない時代、自分が生まれて来た経緯を知ることになります。昭和初期に舞い戻るというファンタジーは浅田次郎氏の得意とするところなのでしょうか、『地下鉄(メトロ)に乗って』や『活動寫眞の女』といった感動的な作品が同じような設定で描かれています。特に、『地下鉄(メトロ)に乗って』と本作は、舞台の書割が『地下鉄』であるところまで共通です。これには『地下鉄』に対する浅田氏の次のような郷愁があるからかも知れません。
『地下鉄の階段を降りた。温かな風が吹き上がってきた。変容を続ける東京の中で、昔と少しも変わらないのは、地下鉄の匂いだけかもしれない。だからこの風にあたるたびに、体も心もほっこりとくるみこまれるような安息を感じる。僕はふるさとを持たないが、これはきっと、帰るべき人を待つ風に似ている。』
浅田氏ならではのほれぼれする素敵な文章の幾つかを並べることで、筋を追ってみましょう。
『東棟の二階は静謐だった。一歩ごとに生が退き、そのぶん正確に、死が浸潤してくるように思えた。』
『たぶん一生聞けねえと思う。人間、口に出せる苦労なんてたかが知れてる。』
『義理は義務だぞ。血の繋がった親子ならテキトーにやったって許されるけど、義理の仲なら何だって義務だ。』
『東京にはこんな雪がよく似合う。舞うでもなく緞帳のように滑り落ちて、アスファルトを黒く染めることしかできずに溶けてしまう雪が。』
『互いの非を論えばきりがなかった。しばらくの間、僕らは他人になってしまった。それも他人以上の他人に。』
『苦労が容姿に顕れず、むしろそれを肥として洗練される人間のいることは知っている。能力や性格ではなく、客観的な幸不幸とも関係なく、今かくある自分が幸福であると信ずることのできる人間である。』
『肉体が極度の苦痛に襲われたとき、エンドルフィンが分泌されて、麻薬のような効果が現れるという。だとすると、生きてゆくために記憶を消し去ってしまうホルモンも、存在するのではあるまいか。』
『初めて二人きりで食事をしたとき、きれいな食べ方をする人だなと思った。・・・どんなに好感を抱いていても、二度と食事をしたくない男はいる。・・・夫の背筋がピンと伸びていて、椀の持ち方や箸使いがとても優雅に見えた。この人ならいつでも一緒にご飯を食べられる。』
これには私にも似たようなこだわりがあって、はた、と膝を打ってしまいました。
『妻に先立たれた夫は老いるが、夫に先立たれた妻は若やぐ。』
どきり、とするような箴言ですね。自分では何もできない身ゆえ、若やいでも良いので相方には私より一日でも長生きして欲しいものです。
『そのときふと、魔が差した。・・・もしそれが悪魔の使嗾(しそう)でないとしたら、動機はひとつしか考えられない。愛すればこそ棄てる。』
『その前に、売れ残りの魚みたいに腐ってしまった勇気を、どうにか搔き集めなければ。』
『詫びてはならない。殺すのではなく、別れるのではなく、捨てるのでもなくてこの子を生かすのだと、峰子は思うことにした。・・・言葉にしてはならないと、峰子は唇を噛みしめた。何を言おうが言いわけにちがいないから。』
『僕は思いのたけをこめて母に言った。あなたが生きるためならば、僕を棄ててもかまわない。僕は男だから、あなたなしでも生きてゆける。でも、少しだけ、僕の願いを聞いて下さい。三十五歳の美しいあなたと、地下鉄に乗りたい。六十歳のもっと美しいあなたと、静かな入り江を歩きたい。八十を過ぎて、もっともっと美しくなったあなたと、輝かしいふるさとの光を眺めながら、クリスマスを祝いたい。純潔の母が聖なる子を産み給うた夜を。』
『僕は思った。多くの人々の祝福を一身に受けて、僕は今、地下鉄から生まれたのだ、と。誰も僕を憐れんではいなかった。むしろ歓喜しているように見えた。悲惨な戦争をそれぞれに生き延びてきた人々は、子棄てという現実を目のあたりにしても、そんなことはどうでもいいかのように、僕というひとつの命を讃えてくれていた。』
『僕らは地の底の静寂の中にいた。針を落としても谺(こだま)しそうな黙(しじま)の中に。穢れなき風に吹かれて。』
『僕も節子も、無理をしていたのだと思う。恵まれた子らにどうにか追いついて、もう二度と遅れてはならないと、懸命に走り続けていた。そして春哉や茜を、劣等感のかけらも持たぬ子に仕立てようとした。無理を続けてきた僕らのさらなる無理が、春哉を圧し潰してしまったのかもしれない。』
『勇気をふるって歩き出す前に、使い古しのマフラーで顔を拭った。よし。生きるぞ。苦悩の釣り銭はまだ残っている。節子をみなしごにはさせない。誰も泣かせはしない。・・・メリークリスマス。忘れざる人々のおもかげを胸いっぱいに抱えて、僕はもういちど地下鉄から生まれた。』
少し長くなりますが、最後に、貧しくとも輝いていた時代から、豊さゆえに混迷する現代への警鐘となる文章を並べて終わります。かなり辛辣です。身に覚えがあり胸に刺さります。
『自分がどれほど幸福な人間であるかを、僕はよく知っている。人類史上最も幸福な場所と時代に、生まれ合わせたからである。めくるめく高度経済成長の中で、「苦労」という言葉は死語になった。戦争はなかった。機会は均等だった。宿命的な困難には最大級の援助があった。そうした時代における「苦労」は、比喩的な表現か、さもなくば「努力不足」という意味だったと思う。少なくともそう考えなければ、幸福な僕らは過酷な歴史に対する責任を負えない。』
『オテントサマ、という言葉の愛らしさに、僕はほほえんだ。子供の時分にはよく使ったが、いつの間にか死んでしまった言葉だった。』
『退屈はいいものだ。どうでもいいことを考える時間。非生産的な、思考と想像の時間。かつて人間は、豊かな閑暇を持て余して生き、そのまま優雅に死んでいったのだと思う。それがいつのころからか、どうでもいいことを考えるのは怠惰とされ、非生産的な行為を排除し、自由な思考と想像を封止して生きるようになった。いくら寿命が延びたところで、そうした人生は短く、その死は貧しいものであるにちがいない。』
『「昔ァ、知らねえ顔だって背中を流し合ったものだったが、いつの間にか自分自分になっちまったなぁ」自分自分。懐かしい言葉である。他人に手を貸し、また他人の手を借りるのが当たり前の時代には、そんな言葉があった。』
『スマホに熱中する女性。ゲームか、ラインの雑談か。いずれにしろ、このうえなく非生産的なそれらの行為に、どうして疑いもなく没頭できるのだろうか。世界中で同時進行しているこのバカバカしい無駄遣いが、人類の到達したインテリジェンスだとは、とうてい思えない。人間がやがて人工知能を備えたロボットに支配されるという、映画や小説の定番ストーリーがあるが、その未来はすでにこんなかたちで実現されてしまっているのではあるまいか。掌に収まる魔法の匣はいかにも平和的な相をしており、暴力をふるおうにも手足がないから、まさにそれが破壊者だとは思わないし、自分がそのロボットに隷属しているという意識は誰も持っていない。』
『ブランド品などという横着な趣味が現れる前の娘たちは、みな清楚だった。』
『帰宅途中のサラリーマンや長髪の若者たちが、何百人も地べたに腰を下ろして演説を聞いている。平和的な反戦集会であるらしい。あちこちで見知らぬ者同士が議論をしていた。満ち足りてはいないが、まじめな時代だった。』
『二十五歳と二十二歳。それでも世間の誂えたささやかな幸福に安住する若者たちよりは、ずっと大人だったと思う。』
『そう言えば僕が新入社員のころ、満州の支店に勤務していたという課長がいた。いや、だぶん当時の役員たちのほとんどは、戦中戦前の入社だったはずだ。だが若い僕らは、そうした会社の過去を意識してはいなかった。戦前と戦後の歴史に連続性を見出せなかったからである。どうして彼らは後輩たちに何も語らず、あんなにも知らんぷりができたのだろう。何もなかったことにしなければ、生きてゆけなかったのだろうか。』
『だいたいからしてそのころは、亭主なら家を出たら最後、会社員は外出したら最後、どこで何をしているかわかったものではなかった。だからポケットベルを持たされたときは、人間が犬に貶められたような気がしたし、その十年後に携帯電話が登場したときは、奴隷にされたと思った。』
『「おかあさんのせいじゃないぞ。みんなおとうさんのせいだ。男なんだから、おとうさんのせいだ」こんな古臭い道徳を掲げているのは、僕らの世代までだろう。』