2015.03.27

家庭菜園

リフォームの本間です。

 

今回は私の家庭菜園の紹介です。

 

家から徒歩3分の所にある約20坪の菜園用地を借りています。地主さんが家庭菜園用にとミカン畑だった所を開墾して、一区画約10坪で貸し出していたのを二区画借りています。今年で6年目になりますが、十分な広さがありますので各種野菜を育てています。



ちょうど今頃(3月下旬)になるとホームセンターの店頭で野菜の苗が販売され始めます。定番品ははずせませんが、何か変わった野菜、今までチャレンジしたことのない野菜も植えてみようか・・・・・・等々、楽しむ時期です。

従ってこの時期、休日は植え付け前の準備、つまり雑草の撤去、土の掘り起し、肥料の散布などで終日野良仕事に追われます。

 

無理をして翌日に疲れが残ったり、腰痛になったりということもありますが、ついつい夢中になってやっています。

 

今年の冬は例年に増して野鳥にやられました。絹さやの苗、春菊、ブロッコリーなど、あきれる程ヒヨドリ等に食われました。そしてそれでも餌が足りなかったのか、いつもは食べない大根(葉っぱ)、セロリ、ソラマメの葉っぱまで餌食になりました。すさまじい限りでした。

しかし野菜の生命力も大したもの、春の陽気と共にわずかに残っていた部分からまた成長し始めました。そしてこの時期、野鳥たちも畑の野菜から遠ざかっていきます。何とか人間様が食せるようになるのではないか、と期待しています。



上は徹底的に食われた春菊ですが、また伸びてきました。



上はセロリです。これは鳥も食べないだろうと思っていましたが、だめでした。でも伸びてきました。



ソラマメも上部の芽と葉っぱがやられました。



上はコリアンダーです。中国語で香菜(シャンツァイ)、タイ語でパクチーと言います。さすがに鳥もこれには近づかなったようです。私と家内の大好物野菜です。

 

菜園からは多賀の海が見えます。作業の合間に海を見ていると何故か気分がスッキリ。また今年の夏も多くの海水浴客で砂浜が埋め尽くされるでしょう。その歓声が聞こえてきそうな気がしました。



今年も気温の上昇と共に忙しくなりそうです。

 

以上、家庭菜園紹介でした。
2015.03.25

『京の冬の旅』紀行~①寺院・町並み編

あれもこれも担当の千葉です。

 

長男が4月から社会人となるのを祝い、2月末に家族4人で冬の京都を楽しんで

来ました。折から、京都市観光協会主催の『京の冬の旅』が開催中で、普段なら

非公開の多くの文化財が特別公開されており、その幾つかを楽しむことができました。



紅葉の名所としてよく取り上げられる通天橋で知られる東福寺。こちらの方丈は

四方全てに庭園を配した珍しい作りで知られ、良く足を運ぶお庭の一つです。

火災で焼失したのち、昭和初期に重森三玲氏によって作庭されたとあります。



この日のお目当ては特別拝観の龍吟庵の庭園。こちらも重森三玲氏の作庭。

妖雲から龍が現れ、垣には稲妻が走ります。



東福寺を北上して智積院では長谷川等伯の壁画・襖絵が特別公開。



方丈には描かれた当時の華やかさそのままの複製画が置かれていますが、

色褪せてはいても、本物は圧倒的な迫力で見る者に迫って来ました。



お馴染みの金閣寺でも、なかなか入れないという特別公開の方丈へ入ることが

できました。



そのおかげで、これもお馴染みの陸船の松も、



このように松越しに金閣を眺めるアングルに恵まれました。

 

最後に祇園の街並みと京都駅の風景を並べます。冬は観光客が少なく

ゆっくりと見て回れる上に、普段は拝観できないところを見られ、この時期の

京都はお勧めです。



おまけ。京の冬の旅の企画のプレゼントで、可愛いクリアファイルを戴きました。

神坂雪佳(かみさかせっか)の木版画、『狗児』。琳派の影響か構図のデザイン性の

高い画家です。

2015.03.23

ワンパターンな感じですが・・・

住宅チームの杉本です。

 

 

 

ワンパターンな感じですが、またまたまた・・・家族で動物園へ行ってきました。

今回のテーマは、『オカピを見たい!!』 でした。

 

 

 

以前、≪ズーラシアンブラス≫ という楽団のクラッシックコンサートへ行きました。

こちらはその名の通り、“よこはま動物園ズーラシア” のマスコットキャラクターで

人気の動物達が、その容姿からは想像できない(?)、本格的なクラッシックの

演奏を聴かせてくれます。

そして、その楽団の指揮をしていたのが 『オカピ』 。



実は、そのコンサートの中で、たまたま長男が選ばれて指揮者の体験を

させてもらいました。

それ以来、その 『オカピ』 を見たいとの思いが芽生え・・・

 

“よこはま動物園ズーラシア” へ行ってきました。

 

 

 

これまでも、いくつか動物園は行っているのですが、ご存知の方も多いと思いますが、

“ズーラシア” は規模も大きく、歩く距離も思ったより結構ありました。

エリアをつなぐ通路の部分も、ジャングルの中を歩いていくような雰囲気の所もあり

長男はもちろん、2歳の二男も楽しそうにそのほとんどを、自分で歩いてまわりました。

 



途中には遊具のある公園もあったりして。



そして、最後に今回のテーマの 『オカピ』 を。

ちょうど、赤ちゃんが生まれたとのことで、親子での展示でした。

初めて 『オカピ』 を見た長男は、開口一番 「きれいだねぇ。」

 

確かに、飼育状況の関係もあるかもしれませんが、色合いや模様を含め

他の動物とは、また一味違う美しさが。



最後は、『オカピ』 の形をした場内バスにも乗り、楽しく遊ぶことができました。

2015.03.18

余寒?~それでもいよいよ深まる春の花たち~補遺

あれもこれも担当の千葉です。

 

今日はお彼岸の入り。暑さ寒さも彼岸まで、という言葉が身に染みるような気候です。

先週末の拙ブログ、アップした途端に20℃を超える日が訪れ、我が家の花たちは

その暖かさを一身に享受して、一気に花盛りとなりました。

 



雪柳も満開。



杏も満開、折からの風に花びらを散らし始めています。



木蓮に至っては、中にはもう花が黄ばんで来たものもあります。

花にも詳しい先輩から教わったのですが、白木蓮が咲いて2週間で染井吉野

が開花するそうです。もしかするとお彼岸の内に開花宣言もありそうな勢いです。

一昔以上前になってしまいましたが、次男の入学式は満開の桜の下で記念写真が、

撮れましたが、長男の入学式には葉桜でした(と、妻が覚えていました)。息子たちも

もう入学式を迎える年ではありませんが、今年は桜が早く、入学式まで持つか気を

揉んでおられるお母さまたちも多いのでしょうか。暖かさも長く、桜も長く残ることを

お祈りします。



お隣の奥様が植えて下さった立金花(りゅうきんか)も鮮やかな黄色い花を咲かせ

てくれました。



以前教えて戴きながら名前を失念してしまいましたが、鳥が運んでくれた可憐な

花も満開。



ちょっと葉が青々しくないのですが、柊南天(ひいらぎなんてん)も花咲きました。



春の恩恵は、あまり日の当たらないところまでも行き届いています。薹が立ち過ぎて

花になってしまった蕗の薹!



最後はお施主様のお庭で見掛けた立派な梅。何という種類の梅でしょう、とても

素敵でした。

2015.03.15

余寒?~それでもいよいよ深まる春の花たち

あれもこれも担当の千葉です。

 

立春を過ぎ、あれよあれよと言う間に来週にはお彼岸を迎え、改めて年明けの

3ヶ月が行く・逃げる・去るほどに早く感じられます。三寒四温とはよく言ったもので、

暖かさにホッとしていると、霙混じりの雨が降った昨日のように、寒さが冴え返り、

春の予感ならぬ春の余寒に身体が戸惑ってしまいます。

 

それでも草木は確実に爛漫の春に向かって歩を進めているようです。いよいよ

深まる春を予感させる花たちを脈絡もなしに羅列して見ます。



週末に鎮座したチューリップに玄関を明け渡し、居間に居所を移した山茱萸

(さんしゅゆ)。小さな小さな黄色が綺麗です。



近くの里で見掛けた枝垂れ梅。華やかさの中にも気品が感じられて素敵です。



こちらは我が家の雪柳と木蓮。今年は例年より少しだけ開花が早いようで、

木蓮などはもう満開間近です。



先日三島駅の近くで、雪柳、木蓮、紅梅が並んで咲き誇っている景色を発見。



腕が拙いために判り難いのですが、白木蓮と紅梅の間に、紫木蓮もありました。

 



庭の木瓜(ぼけ)の蕾はまだ開いていませんが、梅と桜を繋ぐ杏の蕾は既に

綻んで、ぽつぽつと薄紅の花が付き始めました。



最後は先日行った割烹の床の間に活けて有った春。



連翹(れんぎょう)でしょうか。枝垂れて咲く連翹を天に向かって活けると

また雰囲気が異なり、先にだけポツリと残された若い緑の葉と相まって、

趣ある姿に感心しました。

 
2015.03.13

花壇

リフォーム部の中根です、2月は熱海市のリフォーム工事で週1回は熱海梅園の前を通り現地へ向かいました、今年は例年より来場者が多いかった様です、梅園入口前交差点で信号待ちしている時、行楽のお客様の笑顔を見ていると私まで幸せな気分になりました。ここで梅園のワンカットを入れたいところですが、運転中なので断念しました。



そうこうしていると、3月に入り各所で早咲きの桜もチラホラ見かける様になりましたが、弊社の国道沿いの花壇が現在丁度見頃となりました。

実は社屋の窓が道路側にないため、私ども社員は余り道路側の花壇を見る機会が少ないのです、実に残念です。



弊社前で信号待ちの運転手さんの心の癒しなれば、春を少しでも感じていただけたらとご紹介いたしました。

2015.03.09

完成体感会のご案内

営業の加藤です。

 

 

梅や河津桜など紅白色があちらこちらで満開の季節となり、春が近づいて参りました。



我が家のお隣にある、さくらんぼのなる桜も満開。



そして、なぜか我が家にある河津桜は、毎年花が咲く前にいきなり葉桜...。

 

 

それでも今年は3輪咲きました。

 

 

さてさて、そんなことはさておき...

 

 

 

今回は完成体感会のご案内です。

 

 

今回は、伊豆の国市四日町にございます成福寺様庫裡の体感会となります。

 

 

庫裡(くり)とは、寺院の台所にあたる建物で、ご住職や家族が住まわれる建物のことです。

 

 

お寺の行事等に使われる「和の空間」。お住まいとして使われる「こだわりの上質な空間」。

 

 

それぞれ、木をふんだんに生かした空間づくりとなっております。



たくさんのみどころがございますので、実際にご覧いただきたいと思っております。

 

 

スタッフ一同、みなさまのご来場をこころよりお待ちしております。

 

 

また、過去のブログでも工事途中の状況を掲載しておりますので、

 

是非、ご覧ください。

J寺様庫裡新築 H26.9

J寺様の庫裡新築工事の進捗 H26.10

J寺様庫裡新築工事進捗について H26.12

「J寺様庫裡新築工事」進捗報告 H27.1

成福寺様庫裡新築工事の進捗について H27.2
2015.03.07

梅見の宴~三島の松韻・せせらぎ亭

あれもこれも担当の千葉です。

 

昨日から啓蟄。まさに草木も虫も動物も、生きとし生けるものが春の暖かさを期待し

動き始めた様子です。ここ伊豆地方は河津桜が有名なこともあり、早咲きの桜の話題

が満載ですが、梅もまさに盛りの季節です。我が家の梅は、既に散ってしまった木も

あれば、満開を迎えたばかりの木もあります。

 

中国から渡って来た梅は、『松竹梅』と言う言葉に表されるように、平安時代以前は

春を代表する花であり、万葉集で『花』と言えば桜ではなく梅のことだとも聞きました。

 

そんなおめでたい梅を眺めながらの宴席という贅沢を経験させて戴きました。

 



場所は三島の佐野美術館に隣接する『松韻・せせらぎ亭』。ここには三島を代表する

名庭園のひとつでもある『隆泉苑』という広大なお庭と昭和初期の名建築があります

(私のお見合い写真はこの隆泉苑のお庭で撮らせて戴き、妻とのお見合いの席もここ

隆泉苑に設けました)が、せせらぎ亭はそれよりはずっと小ぶりのお庭に囲まれた離れ

形式のお食事処。当社のお得意様でもあります。ご亭主が自ら造園・造庭を手掛け

られた庭内には三島の湧水が引かれ、梅花藻やカラーの見どころの一つでもあります。

松韻・せせらぎ亭・隆泉苑 http://www.msn.com/ja-jp/?cobrand=toshiba13.msn.com&ocid=TSHDHP&pc=MATBJS



ご亭主の心地よいおもてなしに、目も舌も楽しませて戴きました。

皆様も是非、桜の前のあとわずかの間、満開の梅をお楽しみ下さい。



追記:ここ、せせらぎ亭の女性トイレは必見です。前回の改装の折に、

『せせらぎが流れ、星を見上げられるおトイレ』を作らせて戴きました。

2015.03.05

春の気配

山本です。

 

まだ朝晩は冷え込む日が続いていますが、日中はかなり温かくなってきましたね。

最近は、車での移動中に桜の花を見かける機会が増えてきました。

 

こちらは、沼津市内の桜の木で、数年前から早い時期に開花する桜だなと気になっていましたが、今年はすでに満開になっていました。

 

たまたま信号待ちで停車をしていたので写真を撮ってみました。



この時期になると各地で桜まつりが開催されたり、各所で工事が行われていたりで道が混んでますが、これも『春の訪れ』を感じる要因ですね。

 

また、街中にマスク姿の人が増えてくるのも、日本ならではの風物詩ですかね。

(幸いにもまだ私は花粉症デビューをしていませんが・・・。)

 

先日は、趣味でやっているバレーボールの際にもマスクをしている人がいましたよ。(笑)

 
2015.03.04

シリーズ・徒然読書録~『語れなかった物語』と『中東イスラーム民族史』

あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は
極めて大雑把、何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという
思いで、雑然と読み流します。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷
惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分に
とって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請う
ところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回はアーザル・
ナフィーシー著『語れなかった物語~ある家族のイラン現代史』(白水
社刊)です。



この本を図書館で借りて読もうと思ったきっかけは、以前新聞に掲載さ
れた書評です。



イランといえば、古代ペルシャの時代から文化度の非常に高い国民であ
り、世界の文化をリードしたことのあるお国柄であります。ところが今
のイランはイスラム原理主義のため、一見イラン人に我々と同じような
文化背景を想像するのは難しい部分もあるのですが、著者の思考は我々
と何ら変わりなく、著者の服装も音楽も映画の趣味もアメリカ流の我々
と何ら変わるところがないことは、当たり前と言えば当たり前なのです
が、新鮮でした。アーリア系民族は白人系であるので、日本人よりも余
程白人的なのでしょう。

この書評で(文字が小さいので判り難いかも知れませんが)凡そのこの
本の概要は解説されているので、今回は、読みながら私がメモした感想
や本書からの抜き書きをそのまま羅列して読書録としてみます。

 

 

物語も著者や主人公の拠って立つ位置によってその評価は異なるものと
自覚しながら読む。参考にこれも図書館で借り出した新書版のイラン・
中東史。イスラム国家の歴史を、アラブと非アラブのイランとトルコに
分けて解説。複層し競合する民族史が判りやすいコンパクトな解説書で
す。



『沈黙には様々な異なるかたちがある。強権国家が人々の記憶を奪い、
歴史を書きかえ、国家の決めたアイデンティティーを押し付けることで
国民に強いる沈黙。証人が真実を見ぬふりをしたり、語ることを拒んだ
りする沈黙、被害者が時に口をつぐむことによって共犯者になってしま
う沈黙。加えて、私たちが自分自身について、実生活を脚色したり作り
話を否定しないという沈黙もある。(中略)ある意味で、本書は私の
内なる検察官と審問官への答えなのだ。』

 

『本書で私が意図するのは、歴史上の時間を一般論として語ることでな
く、こうした危うい接点 - ある人の私生活や人間性が、はるかに大
きな普遍的な物語として呼応し合い、反映し合う場所と瞬間を伝えるこ
とである。』

 

『二十世紀の初めに祖母が誕生してから世紀の終わりに私の娘が生まれる
までの間に、イランをかたちづくった二度の革命があり、それがあまりに
多くの分裂や矛盾を生んだために、過渡期の混乱だけが恒常状態になって
しまった。』

 

アケメネス朝やササン朝ペルシャとして古代・中世には世界的にも最も先
進的な文化を築いて来たイラン。軍事的にはアラブ人の侵略に屈しモンゴ
ル人の侵略に屈しトルコ人の侵略に屈しながらも、宗教的にもゾロアスタ
ー教からイスラム教に転向を強制されながらも、イラン人としての誇りを
綿々と保ち続けた国民。ようやくイラン人による近代的な国造りを目指そ
うとする頃にはロシア・英国・米国の帝国主義に翻弄される。日露戦争で
の日本の勝利に触発され1905年ガジャール朝時に中東初の憲法公布・
国王を法の支配下に置く。

ロシアの後ろ盾でクーデターに成功したパーレヴィが1925年にパーレ
ヴィ朝を開き欧米的・中央集権的近代化を目指す。宗教的原理主義と政治
的絶対主義に根本から支配されていた社会が一瞬にして脱宗教的近代化を
遂げる。が、2度の世界大戦は英・米・露の利権を大きくし、1945年
以降は米ソ対立の舞台の一つに。1951年、一旦は英国の支配下にあっ
た石油産業の国有化に成功(小説『海賊と呼ばれた男』で描かれた、出光
興産が自前のタンカーを差し向けイラン政府から喝采を受けた時期)する
も、1953年CIAの画策によるクーデターで石油産業は再び英米メジャー
の支配下に。1962年白色革命。大規模な社会経済改革で欧米流近代化、
親米路線。1979年ホメイニ師の下にイスラム革命。二千五百年続いた
王政から共和国に。多くの民衆が期待をする中で極端なイスラム原理主義が
次第に失望を買って行く。1980~1988年、米国の後押しを受けた
フセイン・イラクとのイ・イ戦争。反米を煽ることで民衆の結束を図る体制。

 

オスマン・トルコへの対抗から国教をスンニ派からシーア派に。イスラム原
理主義と自由主義の対立。保守主義と西欧流近代主義の対立。欧米露の覇権
争いとの絡み。分けても米欧の石油メジャーと民族主義の対立。幾つもの対
立軸が複雑に絡み合った構図の中で翻弄されたテヘラン市長を父に持つ著者
の家族の物語。

 

『人が真価を発揮するには、あるがままを認められること、あるがままの姿
を見てもらい、愛してもらうことが必要だ。では母はどんなふうに認めてあ
げればよかったのだろう?』

 

『父は私に物語を与え、持ち運びのできる家庭をくれた。母については複雑
だ。私が本に出会い、この職業に出会ったのは、さらに言えば現在の家庭を
持てたのは、母のおかげでもあり、母と言う障害を乗り越えてでもある。皮
肉なことに私は、最終的に、母が望んだとおりの、あるいは母自身がなりた
かったとおりの大人になった。家族と仕事を両立させる女性に。』

 

『愛と喜び同様、苦痛と喪失も人それぞれで個人的なものだ。ほかと比べる
ことで和らいだりするはずがない。』

 

『父はだれも奪うことのできないもうひとつの世界に旅することで主導権を
取り戻す方法を教えてくれた。イスラーム革命後、私は平凡な日常のいかに
脆いものかを知った。私たちが気楽に家と呼ぶもの、私たちにアイデンティ
ティーを与えてくれるものすべて、自我と所属の感覚などが、いともたやす
く奪われてしまうことを知った。そして父が物語を通して教えてくれたのは、
地理にも国籍にも、他人が奪うことのできる何ものにも依存しない、真の家
庭を自分のために作る方法だったのだと気づいた。(中略)両親の死後はじ
めて、私はふたりがそれぞれのやり方で、記憶を保存でき、人や時代の暴虐
をはねのけてくれる、持ち運びのできる家庭を与えてくれたのに気づいたの
だった。』

 

イスラム原理主義の時代には語れなかった物語と、父母が存命の間は語れな
かった家族の、とりわけ母娘の愛と確執の物語。イランの現代史を窺い知る
良著であると同時に、普遍的な家族ドラマとしても優れた本でした。