2019.03.20
龍澤寺の鏝絵と観音様
あれもこれも担当の千葉です。
明日はお彼岸のお中日。お寺のお話です。
三島の沢地にある龍澤寺は、臨済宗妙心寺派の修行道場で、臨済宗の中の
寺格からすれば、特筆すべき高位のお寺ではないのですが、白隠禅師
(1685-1768)や山本玄峰老師(1866-1961)といった
歴代のご住職の高徳により、多くの注目を集めてきたお寺です。
龍澤寺の実質的な開山は、江戸時代中期に活躍した白隠禅師。白隠禅師は
龍澤寺の中興の祖どころか、臨済宗14派全ての中興の祖とも言われ、鎌倉
仏教6宗の中で最も衰退していた臨済宗を盛り立てた高僧です。『駿河の国
に過ぎたるものが二つあり。富士のお山に原の白隠』といわれるように、現
在の沼津市原の長沢家の出身で、私の母方が遠い縁続きのよしみで、当時芸大
の教授だった長沢家の方に、兄が絵を教わっていた記憶があります。
本堂の天井から吊るされているのは由緒正しそうな駕籠。当時参上するのに
身分の高い人だけが許されるという駕籠も、特別に龍澤寺のご老師には載る
ことが許され、そのためにこの駕籠が与えられたと教えて戴きました。
その後また廃れていた龍澤寺を救ったのは大正4年に入山した山本玄峰老師。
廃寺寸前のところを修行道場として復興されました。戦前戦後の並み居る著名
人・政治家が教えを請いに三島まで足を運び、終戦や戦後の国体決定過程に
影響を及ぼしたといわれていますが、ネットやものの本に沢山出ていますので、
拙い説明はこの辺にしておきましょう。因みに、大正・昭和ですので、歴史上
の人物というよりもついこの間まで三島のそこここを歩いていた方です。あち
らこちらにその足跡があり、たしか広小路の有名な鰻の『桜屋』さんにも玄峰
老師の揮毫がありましたね。私の義祖母も大変可愛がって戴いたおかげで、
それまで檀家のお墓のないお寺だったところにお墓を貰い受け、臨済宗に改宗
をしたご縁があります。
また、龍澤寺には、『伊豆の長八』こと、入江長八の漆喰(しっくい)の鏝絵
(こてえ)があります。私が見せて戴けたのは数点ですが、ネットで調べた
ところに拠れば、20点ほどあるとのことです。誰でもが見ることのできる庫裏
の玄関にも、立派な龍の鏝絵があります。
こちらは、それまで墓参に来るたび、何度も何度も見ていながら、注意も払わずに
いた観音像。なんと、長崎の平和記念像と同じ作者、北村西望氏の手になるものだ
とは、現在のご住職、榮山ご老師からお伺いしてビックリしました。
因みに、寺格によってお寺の築地塀・筋塀の横線(定規筋)の数が決まる
という話を聞いたことがあります。
東福寺
金閣寺
京都などには本山やそれと同格の高寺格のお寺が多いため、最上級の5本線
を数多く見掛けます。でも現代ではあまり厳格なものではなく却って5本線
以外の筋塀を見つけるのは難しいとも聞きます。その意味では龍澤寺さんの
ような3本線は奥ゆかしく貴重なものですね。
龍澤寺さん