2018.03.23
シリーズ・徒然読書録~平野啓一郎著『マチネの終わりに』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて

大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという

思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ

忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮し

つつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れない

と思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、平野啓一郎著『マチネ

の終わりに』(毎日新聞出版)。



毎日新聞の連載小説だったようです。新聞の広告を見て図書館で借りてみました。

だって、『結婚した相手は、人生最愛の人ですか?』とか、『恋の仕方を忘れた

貴方に贈る、せつなすぎる大人の恋愛小説』なんて随分と挑発的なコピーに触手が

動きました。



世界的なクラッシック・ギタリストの蒔野聡史、38歳。完璧な中に唯一足り

ないもの、未来。スランプから演奏をやめ長い沈黙に。方やクロアチア人映画

監督を父に持つ記者、小峰洋子、40歳。イラクでの取材で自爆テロに合う。

 

お互いに抗しきれないほど惹かれ合う二人は、それぞれが芸術的スランプと、

自爆テロのPTSDに苦しんでいた。救いを求めて会おうとした正にその時に、

蒔野を慕うマネージャーの三谷の策略によって二人の人生は行き違ってしまう。

 

『虚構のお陰で書かずに済ませられる秘密がある一方で、虚構をまとわせる

ことでしか書けない秘密もある。』なんて素敵な文章が鏤められていますし、

二人が初めて会った瞬間から、たった二度の逢瀬で抗し難く愛し合うように

なる心理描写や展開は筆力があって惹き込まれましたが、三谷の嫉妬で別々の

暮らしを始めた頃からの展開は少し冗長で退屈しました。それでも、音楽への

造詣、民族紛争への造詣に裏付けられた厚みのある優れた小説だと思います。

 

『人はただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々

と夢見ることを忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わ

ないとするなら、恋とは一体、何だろうか?』

 

広告のコピーが言うように、忘れてしまった恋の仕方を思い起こさせるのでは

なく、恋をするエネルギーを失ってしまっていることを悟らせるための小説で

した。まさに『愛とは弛緩した恋』ということでしょうか。むしろこの本の主

張は、自由意思による未来への希望という辺りにあるのではないかと感じます。

 

『人は、変えられるものは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未

来は常に過去を変えているんです。・・・・最後に名残惜しく交わした眼差し

が、殊更に「繊細で、感じやすい」記憶として残った。それは、絶え間なく過

去の下流へと向かう時の早瀬のただ中で、静かに孤独な光を放っていた。彼方

には海のように広がる忘却!その手前で、二人は未来に傷つく度に、繰り返し、

この夜の闇に抱かれながら、見つめ合うことになる。』

 

『自由意志というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、

何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。だからこそ、過去に対して

は後悔となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めに

なることもある。』

 

それぞれが離婚をし、お互いに惹かれ求め合いながらも運命の糸は交差せず

何度も何度もじらされて、、、。何年後かのコンサート。『それでも、せめて

このコンサートが終わるまでは、彼への愛に留まっていたかった。これまで

たった三度しか会ったことがなく、しかも、人生で最も深く愛した人。・・・

音楽が駆けてゆく。このひとときが永遠に続くことを彼女は願った。』

 

そして、マチネの終わりに演奏した曲は・・・。