2017.08.18
シリーズ・徒然読書録~『プノンペンの奇跡』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて
大雑把、何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然
と読み流します。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、
ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、
始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、『プノンペンの奇跡』。
JICA中部国際センター所長の鈴木康次郎氏とJICA客員専門員の桑島京子氏の共著
(佐伯印刷株式会社出版事業部刊)。副題に『世界を驚かせたカンボジアの水道
改革』とあるように、長く内戦に苦しんだカンボジアの首都プノンペンで、水道
管の不法接続や盗水が横行し、水道公社が腐敗と汚職の温床だった90年代に、わ
ずか15年の間に安全な水を市民に届け、日本にも劣らない高いレベルのサービス
を提供するまでに成長した奇跡の背後にあったものは何かを記したドキュメン
タリーです。
『1993年当時のプノンペンでは、市街地の20%程度にしか水道が普及して
いなかった。それも、一日10時間程度の給水だった。水が来ないため、市民た
ちは自主的に市道の配水管に穴を空け、地下に受水ピットを設け、かろうじて水
を利用する状態であった。・・・職員のモラルは低く、幹部職員みずからが、不
正な水の販売や給水管の接続を手掛けるような腐敗の温床と化していた。・・・
それが10年のうちに劇的に改善された。貧困スラムを含む市街地全域に拡大し、
毎日24時間、安全な水道水として供給できるようになったのである。しかも、
漏水や盗水などのために膨れ上がっていた無収水率は、72%から20%に激
減し、13年後には8%へ、そして18年後の2011年には6%へと大幅に削減され、
健全な経営水準を達成した。これは日本を含む先進国と比べても極めて優れた
水準にある。・・・ロンドンの26.5%、トリノの25%、マドリードの10.5%
よりはるかに低い。東京の2.8%には及ばないものの、パリの5%やベルリンの
5%と同水準に至っている。アジアの殆どの都市水道事業体の無収水率が、現在
でも50%前後で推移している中、6%という数字は実に驚異的なものである。』
これらを可能にしたのは、悪しき故習を排し、能力のある若手を登用し、活躍
させるエク・ソンチャンという優れた人物のリーダーシップのみではなく、そ
れを支えたカンボジアという国の政治判断や政策、そして日本の協力・支援や、
世銀など国際機関の協力があったからだそうです。日本からは、とりわけJICAの
マスタープラン・長期整備計画がこの大事業の道しるべとなり、それに沿った
資金提供と、北九州市の職員・技術者の献身的な技術指導、テレメーター・
システムの供与があり、これらが飛躍的発展には欠かすことができなかった
ということです。
ドラマ化もされた沢井鯨氏の小説、P.I.P.(プリズナー・イン・プノンペン)で
想像していたような、不幸な内戦状態が長く続いた、無法地帯のイメージとは
かけ離れた成功譚に、カンボジアという国の歴史に興味をもちました。しかし、
内戦の頃に限らず、なかなかカンボジアの歴史を記した本と言うのは少ないの
ですね。その中で、今川幸雄氏訳・著『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』
は貴重でした。また今ではネットでかなりの概略は掴めるようになったのも
便利ですね。
今川氏の著作とネットで得た情報をメモ書きしたものが手元にあります。それを
書き写して終わりにします。
紀元前後よりインド文化の影響・・・サンスクリット文字、バラモン教(古代
ヒンズー教)と大乗仏教(現在は小乗仏教)、アンコール・ワットもバラモン教
と大乗仏教。
3世紀頃より中国に朝貢・扶南王国、インドからの侵攻にも抵抗。
6世紀にカンプチア王国(真臘王国)の名称、しかしじきに7世紀にはジャワ王国
の属国化。
ついに9世紀、アンコール王朝(クメール王朝)。12世紀アンコール・ワット、
アンコール・トム建設。
13世紀の元(モンゴル)の侵攻、シャム(アユタヤ朝)の侵攻により首都を
転々と変更。
14世紀に小乗仏教へ。これより長くシャム・タイやチャム・ベトナムの勢力下・
影響下に。
19世紀、フランスの保護条約国に。日本軍の進駐を許しフランスを排除。
第二次大戦後、1945年にシアヌーク王が独立宣言、1953年にフランスから実質
独立回復。
1970年、ベトナム戦争下、親米のロン・ノルがクーデター
1975年、共産主義クメール・ルージュのポル・ポトによる恐怖政治
1978年、ベトナム系プノンペン政権 フンセン
1993年、シアヌーク王再即位