2013.04.02
歌舞伎座の杮(こけら)落とし①~下宿のおばあちゃんの東京大空襲の話
あれもこれも担当の千葉です。

 

本日、東銀座にある歌舞伎座の建て替えが成って、生憎の雨模様ですが晴れて

こけら落としの興行が開催されます。因みに、『杮(こけら)落とし』の杮(こけら)と

は、苔(こけ)や鱗(うろこ)のことではないと、先日当社の役員に教えて貰いました。

なるほど、辞書を引くと、『木材の削りくず、こっぱ』のことと書いてあります。私ども

も工事が終わってお客様にお引き渡す前に美装屋さんを入れて念入りにお掃除を

しますが、このことだったのですね。ふむふむ。

 



さて、この歌舞伎座、第5代目の建物で、第3代目は関東大震災後に岡田信一郎氏

の設計で大林組が建て、東京大空襲で焼け落ちたものを終戦後に吉田五十八氏の

設計で清水建設が大改築したものが第4代目だそうです。友人の弟が尺八の演奏で

アルバイトしていたためにお呼ばれしたり、私が東銀座勤務の頃によく通りかかって

いたものが4代目で、学生の頃下宿の大家のおばあちゃんとお茶を飲みながら聞か

された東京大空襲での悲劇の舞台が3代目、と言う訳です。

(ご参考:ウィキペディア/歌舞伎座)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E5%BA%A7

 

大家のおばあちゃんの東京大空襲の話は、何度聞いても悲惨な光景が目の当たりに

浮かび上がるようなものでした。亡くなったおじいちゃんが一日中、火傷の痛みから飛

び込んだ隅田川に浮かぶ多くの遺体を引き上げに行っていたという話。引き上げた遺

体の列の間を家族を探して多くの人が土手を行き来していたという話。大空襲当日、

歌舞伎座には爆弾は落とされない、という誰が言い出したか根拠なき飛語に惑わされ、

火の海の中ようやく辿り着いた歌舞伎座は既に避難者で一杯、入れてもらえず他に

避難した方が助かり、ぎゅうぎゅう詰めの歌舞伎座に落とされた焼夷弾で中にいた方

の殆どが亡くなられたという話。

 

私が玄関を開ける音に、待っていたように奥から掛かる大家のおばあちゃんの、『千葉

さん、お茶飲まないかい』という声と、悲惨な空襲の話も最後には亡くなったおじいちゃ

んのお惚気話となってしまうおばあちゃんの可愛い笑顔を、懐かしく思い出しました。





樋口一葉で有名な菊坂の上、旧後楽園球場を見下ろす台地にあったおばあちゃん

の下宿は、先日訪ねて行った時にはその一角丸々が大きなマンションになってしま

っていました。30年以上も前のことなので仕方ないのかも知れません。戦前の木造

の洋館をそのまま風情のあるフランス料理店として使っていた楠亭も、20年くらい前

まではお気に入りで何度か行っていたのですが、大きな楠の巨木を残して立派な

ビルになっていました。

 

次回は今回の第5代目の設計者、隈研吾氏のお話に続きます。