2014.01.29
米・一般教書演説~国家と国民の関係
あれもこれも担当の千葉です。
米国大統領は、毎年1月の最終火曜日に、上・下院議会に対し、施政方針を披露する
一般教書演説を行います。今年も日本時間の今日未明に行われました。明日の朝刊
記事にも取り上げられることでしょう。
これに先立ち、先々週末に、オバマ大統領が司法省で行った演説が、日経新聞のコラ
ム『春秋』に取り上げられていました。
その演説には、『市民の自由は権力の座にある者の善意など当てにはできない。自由が
当てにするのは、権力を持つ者を縛る法律である。我々の政府という仕組みは、そういう
前提のうえにつくられている』との一節があったと言います。
この一節を読んで、ちょうど一年前、オバマ大統領の2期目の就任演説(これも一般教書
演説と呼ばれるらしい)を思い出しました。どちらにも共通しているのは、『権力 対 自由』、
『国家 対 市民』という関係の強烈さです。
先々週の一節は、自由はお上や権力者が与えてくれるものではなく、お上や権力者を縛る
法律によってもたらされる、との認識に基づいていますし、一年前の就任演説では、『我々
は一貫して中央の権力への疑いを決して放棄せず、政府だけで社会の病巣を全て治癒で
きるといった虚構に屈しなかった』と言い、やはり平等・生命・自由・幸福という基本的人権
は、与えられるものではなく、自らが闘ってでも守り抜かねばならないものだとの強烈な認
識が披露されていました。
自由・幸福に対する強烈な責任の自覚は素晴らしいものだと感じる一方で、自分の国家
や地域社会、ひいては隣人をも単純には信頼しない社会というのはどこか寂しいものだと
も感じましたが、それだからこそ、安心・安全な社会をつくるためには市民一人一人の自
覚と努力が必要だということなのでしょう。
1年前の拙ブログ 『アメリカという国のかたち~オバマ大統領就任演説』
http://www.szki.co.jp/blog/2013/02/0220_post_162.html
をご笑覧下さい。