2014.02.10
シリーズ・徒然読書録~『正義という名の凶器』
立春を過ぎて強烈な寒波に見舞われた日本列島。東京都心では四十数年振りの積雪。

ここ三島でも雪が積もったのは十数年振りで、長男がまだ学校に上がる前だった前回、

雪ダルマ作りに興奮していたことを懐かしく思い出しました。



立春前の暖かさに開花も進んだ梅の花にも重たそうな雪が積もっていました。



あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて見ました。皆様

のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回ご紹介するのは、精神科医で人間・環境

学者、片田珠美著『正義という名の凶器』(ベスト新書)。

 

小泉自民大勝の郵政民営化選挙、小沢民主大勝の政権選択選挙、そして安倍自民

大勝のデフレ反動選挙。どうして最近は雪崩式に極端な投票行動になってしまうんだ

ろう?「モンスター・ペアレント」や「クレーマー」、「ブログ炎上事件」など、一体どうして

こんなに攻撃性の強い世の中になってしまったんだろう、と考えている時に出会ったの

が、先月の拙ブログでご紹介した香山リカ著『悪いのは私じゃない症候群』。

( http://www.szki.co.jp/blog/2014/01/0127_post_249.html  ) 対象として取り上

げた社会現象が同じで、しかも著者がともに女性精神科医ということで興味を持ち、読

んでみることになりました。

 

まずは表紙の裏書をご紹介しましょう。

 

≪ その「正義」が怖い  「あなたのやったことは間違っている。私が正しいのだから」

という考えのもと、徹底的に悪の糾弾を行い懲らしめ、相手が許しを乞いても尚、激しく

攻撃を続ける。時にして、相手の命を奪うこともある。いじめ、体罰、ストーカー、地域

紛争、戦争。社会の揉め事の起因は、この「ひとりよがりの正義感」にあることが多い。

人はなぜ、正義を振りかざし、相手を叩くと気持ち良くなるのだろう?そして、なぜター

ゲットを変え、何度もこの行為を繰り返すのだろう?「正義の仮面」の下に隠された現

代人のかかえるトラウマ、「正義を振りかざしやすくなった社会」という2つの側面から、

今もっとも恐ろしい「正義依存という病」の本質に迫る! ≫



著者はまず、ネット炎上事件の中から、塩谷瞬(私は良く知らないが、芸能人らしい)

の二股騒動、河本準一(こちらも良く知らないがお笑い芸人らしい)の生活保護騒動、

大津いじめ自殺事件の3つを取り上げ、分析を試み、同時にネットから得られる快楽

についても検証し、そこに依存性があることを指摘している。そして、なぜ他人の「悪」

を叩くと快楽が得られるかに踏み込み、「正義の仮面」の陰には怒りと羨望が潜んで

おり、その本質は「他人の幸福が我慢できない怒り」即ち羨望だという。この怒りや羨

望は本来隠したい不都合な感情だが、「正義の仮面」を覆ることであたかも自分には

そんな不都合な感情は無いと思い込むことができて好都合で、しかも快感を伴うから

一石二鳥で、正義依存は容易に伝染してしまう。

 

非常に興味深かった指摘は、1つには、面白おかしくはやし立てる『観衆』や見て見ぬ

ふりをする『傍観者』の存在がいじめやバッシングを過激にする、即ち『観衆』や『傍観

者』も同罪だという点、もう1つは、妄想的ともいえる被害者意識により弱者が弱者を

いじめ・バッシングすることもあるという点です。

 

なぜ今の日本では「正義依存という病」が蔓延し易いのか?

・政治家、教育者、親をはじめ、権威の失墜によって絶対的な正義がなくなり、自分勝

手な正義を振りかざし易くなった。

・消費社会にどっぷり浸かっている(医療をサービス業と考えるなど)ために、お客様な

ら何でも要求しても良いという意識が蔓延している。

・被害者意識が強く、本来得られるはずだった利得を要求しても良いという風潮が強い。

この背景には、ミドルクラスが疲弊し、社会のハイ・ロウの二極化が進展してしまった

ことがある。即ち、旧ミドルクラスの怒りと羨望が被害者意識を生み出し、正義依存に

結びつく。

この分析は秀逸だなと感じました。

 

最後に著者は、この「正義依存」は益々蔓延すると予測する。それは、他責的な傾向に

つける薬はないことと、『観衆』と『傍観者』が多いからだとしている。そして、こうした状況

に我々はどう向き合うべきかについては、うっぷん晴らしのために正義感を振りかざして

悪を叩くようなことをやっていないか、一人ひとりが自分自身に問いかけてみるしかない、

としている。この点については前掲の香山リカ氏と同じで何ともお粗末で物足りなさを感

じてしまい、残念でなりません。

 

著者が言うように、題名である『正義という名の凶器』が、『正義が狂気に変わる社会』

と同義だということに、戦慄を覚えてしまいました。