2016.05.24
シリーズ・徒然読書録~熊谷博人著『江戸文様こよみ』
あれもこれも担当の千葉です。
読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、
何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。
その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる
ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様
のご寛恕を請うところです。
徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回は熊谷博人著、
『江戸文様こよみ』(朝日新聞出版刊)。
これを図書館で手にとった時には、大好きな小紋のデザインをパラパラとめくり
見るつもりでしたが、なんとなんと博識で造詣深い文章と、向こう梅、輪違い、
花筏、早蕨、芽柳、花桐、星祭り、虫追い、雁渡し、露芝など、まるで季語集を
めくって行くような楽しみがあり、ぐいぐいと惹き込まれてしまいました。
本書の出だしの『松竹梅』の部(本書のほんの一部分です)の文章と図柄を抜粋・
羅列して今回は読書録に代えてしまいます。
『中国には「歳寒三友」という思想があります。昔、中国はあこがれの先進国でした。
日本は多くの中国文化を受け入れました。松は常に緑を保ち、その緑は千年も変わる
ことがないといわれ、不老長寿の象徴です。竹は節操。梅は清らかで高貴とされます。
いずれも厳しい冬の寒さ、逆境に耐えることから、「松竹梅」は中国文人に、清雅の
象徴として好まれました。』
『松~枯れ落ちても二人連れ 松は生命力が強く精霊を見ることができると言い伝え
られ、古くから正月飾りとして玄関先に門松を置きました。松は年神が降臨する木、
つまり神の依代(よりしろ)と考えられて、正月の神様を家に迎え入れるために松が
飾られるようになった』
『江戸時代になると松文様が、中国の精神思想から離れ、単純に「めでたい文様」
という意味合いで庶民の間に普及』
『松の成長と共にその呼び名も変化 若松 枝松 老松 落松葉 敷き松葉』
『梅~旧暦の二月は、別名を梅見月、梅つ月とも呼ばれました。江戸時代には
亀戸の「清香庵(せいきょうあん)」という梅屋敷をはじめ、隅田川、蒲田、四谷新町
などに人気の高い梅林があり、多くの人たちが梅見をしたようです。』
『中国では、晋の武帝が学問に親しむ時には梅の花が咲き、怠る時は散りしおれた
という故事があります。このことから梅を「好文木(こうぶんぼく)」とも呼びます。』