2016.03.16
シリーズ・徒然読書録~篠田桃紅著『一〇三歳になってわかったこと』
あれもこれも担当の千葉です。

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様

のご寛恕を請うところです。

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回は篠田桃紅著『一〇三歳に

なってわかったこと』(幻冬舎刊)です。2015年のベストセラーの上位に入っていました。



著者の篠田氏は書家というよりも抽象芸術の世界的な大家で、1913年に満州で

生まれました。国内では、その書の枠を飛び出た作風が『根無し草』と酷評された著

者は、1956年に渡米、先に欧米でその抽象的な作品の前衛的な芸術性が圧倒的な

評価を得て、1958年に帰国して後は、日本でも引く手あまたの人気書家・画家と

なりました。

沼津市役所が1966年の市庁舎完成を機に、特別応接室の壁画として、篠田氏の

大作『泉』を購入してあったものが、長いこと忘れられており、一昨年30年ぶりに

発見されたというニュースは記憶に新しいですね。



全てを受け入れ淡々と日々を送るその姿からは、平穏さとともにどこまでも孤独な

存在としての自分を受容した激しい凛々しさが伝わってきて、とても強烈な読後感

をもたらします。

素敵だなと思った部分の抜粋を、篠田氏の作品を交えて記します。

『人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。

それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。』

『この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。

百歳はこの世の治外法権です。』

『私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で

寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。』

『古来の甲骨文字を見ますと、「人」という字は、(人と人が支え合って立っているの

ではなく)一人で立っています。古代の「人」のように、最期まで、一人で立っている

人でありたいと願っています。』

『自分という存在は、どこまでも天地にただ一人。自分の孤独を客観視できる人で

ありたい。』



『九十代までは、参考にすることができる先人がいました。しかし、百歳を過ぎると、

前例は少なく、お手本もありません。全部、自分で創造して生きていかなければなり

ません。歳をとるということは、クリエイトするということです。』

『歳をとるにつれ、自分の見る目の高さが年々上がってきます。今までこうだと思って

見ていたものが、少し違って見えてきます。同じことが違うのです。・・・・・そして未来を

見る目にも変化が起こります。歳をとれば、人にはできることと、できないことがある

ことを思い知ります。そしてやがて悟りを得た境地に至ります。』

『自分というものを、自分から離れて別の立場から見ている自分がいます。高い所から

自分を俯瞰している感覚です。生きながらにして、片足はあの世にあるように感じて

います。』

『歳相応という言葉がありますが、百歳を過ぎた私には、なにをすることが歳相応なのか

よくわかりません。・・・私は歳には無頓着です。これまで歳を基準に、ものごとを考えた

ことは一度もありません。なにかを決めて行動することに歳が関係したことはありません。』



『面白がる気持ちがなくなると、この世は非常につまらなくなります。・・・感動する

気持ちがあれば、この世は楽しい。・・・・人はみな、なにかにすがっていたい、どこか

によりかかるものがほしい。その一役を買ってくれるのが、なにかに夢中になること

だと思います。・・・夢中になれるものが見つかれば、人は生きていて救われる。』

『真実というものは、究極は、伝えうるものではない。ですから、私たちは、目に見え

たり、聞こえたりするものから、察する。そうすることで、真実に触れたかもしれないと

感じる瞬間生まれるのかもしれません。真実は、想像のなかにある。だから、人は、

真実を探し続けているのかもしれません。真実は見えたり聞こえたりするものではなく、

感じる心にある。察することで、真実に近づける。』

『どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。自分の心が決める

以外に、方法はないと思います。この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが

一番いいと思います。ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。・・・

これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、

幸せになれるのだろうと思います。』

『さまざまな人種、文化、習慣を持つ人々が集まるニューヨークでは、なんでもアリ。お互い

に文化を持ち寄っているので、なにがいいかなんて決めつけることはせずに、違うことを

面白がっている。こんなに楽しい街はない、と私は思いました。影響を受けることも、それ

によって変化することもいとわない。いつも新しくなにかをつくろうとしていました。』



『世の中の風潮は、頭で学習することが主体で、自分の感覚を磨く、ということは

なおざりにされています。たいへんにおしいことです。知識に加えて、感覚も磨け

ばものごとの真価に近づく。』

『次から次へと、身内、友人を亡くし続けて、私は、運命というものの前に、人は

いかに弱いものか、ということを若くして知ったように思います。弱いというよりも

無力で、なんの力もない。どんなに愛する人でも、さっと奪ってしまいます。運命に

は抗えない。私は、身の程をわきまえ、自然に対して、謙虚でなくてはならないと

思いました。人が、傲慢になれる所以はないと思っています。』

『時宜に適って、人は人に巡り合い、金の言葉に出逢う。医者の「治りますよ」で、

私は死病から生還した。』

『あらゆることが、時代と移り変わり、私のように百年も生きていると、たった百年

でも、その変わりようは激しく、いったい、この世に、人類とともにその価値が失わ

れないものはあるだろうか、と考えさせられます。・・・それでは、私たちが文句なしに

愛し、文字どおり、全人類がその価値を認めざるをえないものはないのでしょうか。

それは母だと言った人がいます。』

なんと強烈で、重みのある言葉たちでしょうか。

補足ではありますが、高名な映画監督、篠田正浩氏は従兄弟にあたるそうです。



今年に入り、続編が刊行されました。『一〇三歳、ひとりで生きる作法』 幻冬舎。

強烈で重みのある言葉たちに更に磨きが掛っていました。

『毎日、同じことの繰り返しでいいのであれば、人型ロボットでもやれることである。

昨日と今日の私は違わなければ、人として生きている甲斐はない、と幾つになって

も思う。』

一〇三歳にして自らに一日たりとも停滞を許さぬこの心の強靭さは、いったいどこ

から湧いてくるのでしょうか。神々しくさえ見えて来ます。同様な強烈さが自らの作品

創りでも表れています。

『私は好きな字を書いていても、それが自分でつくったものでないことが物足りなかっ

た。文字の創始者がねたましかった。ねたましい、とははしたないことと思い、私は、

自分の心のかたちをつくりたいと希うようになっていった。そして、書としては通用しない

けど、ヘンな文字は、自分の心のかたちの兆しかもしれないと思った。』

『若いからといって、ちやほやしない。謙虚でなければ相手にしない。・・・若さは謳歌

するもので、賛美されるものではない。まだなにも知らないのだから、謙虚にしていな

ければならないと私は思う。本当は年齢なんて、まったく関係ない。ただ、人として謙虚

でなければ、相手にしない、というだけのことである。』

『老いたら老いたで、まんざらでもない。まんざらでもない、は含みのある言葉である。

満足というほどはっきりしたものではないが、まんざらでもないのである。』

『「墨に五彩あり」という中国の言葉がある。目に見える色はこの世に限りなくあるが、

墨はあらゆる色を含んでいるという意味である。・・・墨は目に見える色を、人の想像力

で心の色に置きかえることができるからだ。・・・真実の色は、見たいと希う人の心の

中でしか、再び、会うことはできない。』

『以前に比べて、心を留める音が、身辺に少なくなったような気がする。・・・さまざまな

騒音にかき消されて、心耳(しんじ)を澄ます、というような音には、なかなか出会わない。

・・・私は、少女の頃、隣室の母の立てる物音に耳を澄ましたのが、心を留めた音の始

まりだったように思う。・・・快く聴こえたのは、キュッ、キュッ、が生き生きとした弾力ある

音で、リズムがあったためでもあろう。きっと心楽しく片づけものをしていたので、まだ

若かった母の心のリズムだったかもしれない。きものの衣擦れ、畳の上を摺る足音、扇

をはたはたとさせる音など、よき音、として心惹かれた。人と人のあいだも、あわれが

浅くなったような気がする。』

強靭な精神に、情が細やかで風情のある精神が同居しているようです。