2016.03.11
シリーズ・新聞記事より~東日本大震災5年・問いかける言葉
あれもこれも担当の千葉です。

東日本大震災より5年。会社の会議室のテレビを呆然と眺めていた金曜日の午後。

地震・津波・放射能汚染からの復興を考える時、もう5年も経ってしまったという驚きは、

同時にまだこれだけしか復興が進んでいないのかという無念さと背中合わせです。

被災された方々、未だに不自由な暮らしを強いられている方々に、改めてお見舞いを

申し上げます。

先週、日経新聞の最終面に、『問いかける言葉 東日本大震災5年』という連載が組ま

れました。5人の作家・評論家・学者の問いかけは、歓迎すべき歳月の経過という癒し

ともに、忘却を戒め、改めて忘れてはいけないことを厳しく提議しています。



①哲学者 鷲田清一氏

死者との距離を考える時、復興という社会的時間とは別の、人間の心の時間という

ものがあると指摘する氏は、京都市芸大の学長も勤め、若い世代の行動力に期待を

寄せています。

『今の美大の卒業生は社会とリンクした活動を始める人が多い。彼らはどんどん人と

交わり、お金を使わず自分の手でモノをこしらえ、面白がって社会を変えようとする

タフさを持っている。・・・現代社会はあまりにも複雑で自分たちのものだという感覚が

持ちにくい。だから自ら動かせるシステムを作りたいと思うのだろう。震災を契機に広

がった感覚だと思う。』



②作家 池澤夏樹氏

『台風や地震、津波に際限なく痛めつけられるという宿命は、どんな人間を作ったのか。』

編者を一人で務める日本文学全集を刊行中の氏は、日本人の精神に思いを馳せてい

ます。

『「古事記」から「平家物語」、「曽根崎心中」、そして現代文学と読んでいくなかで、日本人

とは、無常の感覚を心に抱え、色恋を好み、武勲を誇るよりも敗者をいたわる人たちで

あると考えるようになった。近代以降の日本人は大きく変わったが、今なお私たちの精神

の基底にはそうした心性が息づいている。』



『同時に、日本人は天災と復興を繰り返す長い歴史の中で「災害ずれ」してしまった人間

だとも思う。「仕方がない」と割り切り、必死に思い詰めるより花見をしてゆったり暮らしたい。

そう考えてきたのだろう。被災地の復興はなかなか進まないのに、五輪で遊ぼうという今の

ムードにも、そんな心が表れてはいまいか。』

更に氏は、利他的な動きや不便さの受容など、震災直後に抱いた期待が後退して行く社会

にもどかしさを覚えています。この点、先の鷲田氏よりもかなり悲観的です。

『これを機に世の中が変わるのではないかという思いがあったが、結局、すべて元に戻って

しまったように私には見える。社会をより良くしたいというあの雰囲気は、災害時だけの

ユートピア幻想に過ぎなかったのか。・・・お金や経済以外の原理も少しは力を持つかと

期待したが、何かが変わったという感じはしない。・・・今の現状のまま5年のラインを越えて

しまっていいのかと思う。』



③漫画家 萩尾望都氏

そうです、あのSF漫画の名作『11人いる!』の作者です。


『今は、科学には限界があるという事実を受け入れている。』

SF的な漫画で一世を風靡した氏は、SFとは未来への警告を発する表現だと考えて

来たといい、震災後も幾つもの警告の作品を描いて来ました。

『原発は社会に賛否両論の議論を呼び起こしている。ただ、事故は誰かの悪意が

起こしたものではない。この世に「絶対的な悪」などない。・・・今は対峙する双方に

理があり、どうコミュニケーションをとるかという話になる。ただ、コミュニケーション

とは決して穏やかなものではなく、互いが傷つき、痛みを伴うもの。それでも抑圧や

打倒ではなく、対話を選べるか、という問題だ。・・・反対を声高に叫ぶだけではだめ

だ。現代人は全員、複雑なシステムの中にいる。もし本当に変えたいのなら、その

複雑さの中で現実的に考えながら、意見を異にする人たちを説得する戦略が必要

だろう。』

素晴らしい見識ですね!

『震災後、日本人は毎日岐路に立たされている。今の問題は上の世代が良かれと

思ってやってきた結果だ。未来を作るのは若者。「敵」に見立てた他者をたたく安易さ

に流されず、状況の本質を深く問うて欲しい。』



④文芸評論家 加藤典洋氏

資源や環境が有限な世界で、無限の欲望と力を持った人間が生存する条件とは何か。

この問いに対し氏はこう答えています。

『人間は何かを「することができる」だけでなく、「することも、しないこともできる」存在だ。

利益を果てしなく追及することを「しない」選択もできる。・・・(フェイスブックやリナックス

のように)見返りを期待しない「贈与的動機」が、結果的には巨大な産業を生んだ。私は

一緒に読書会をやっている学生たちとの対話から、こうした視点に気づかされた。新しい

時代の感受性を持った人は確かに現れている。』

氏は新しい感性を持った若者に期待をしています。


⑤写真家 畠山直哉氏

『私は津波で実家を流され、母を亡くし、・・・当事者だ。そんな人間が撮った写真が

美学的に論じられることがとても不自然に思える。今、芸術や文化について考える

のは本当に難しい。震災直後から、希望や未来を軽々しく語る言葉と、結論ありき

の表現があふれたが、果たしてああいうものに何かリアリティがあったのだろうか。

一方、若い美術家に広がる社会参加型アートの動きは、自らの正しさを疑わない

ところが鼻白む。ではどうしたらいいのだろう。・・・自分にとって自然なことをすると

いう、ナイーブなところから出発するしかないのだろう。』

自らが災害の当事者の氏の言葉は、重みがあって強烈です。と同時に、問いを発

するだけに留まらず、その答えを探そうとする強靭な意志と責任感に心打たれます。

『死すべき運命にある人間は、いつか必ず超越や神といった問題と出会う。そのこと

を若い世代にこそ真剣に考えて欲しい。・・・だが私は問うだけでいいのかと考える

ようになった。俯瞰的な視点から世界を眺め、自ら発した問いに対して、人々を安心

させる答えを探し始める時だと思う。』

5年目の3.11を前にして、改めて、被災された方々、未だに不自由を強いられている

方々に、心よりお見舞いを申し上げます。