2015.12.02
晩秋から初冬の修善寺・修禅寺
あれもこれも担当の千葉です。

 

先日はこの『すずのね』にスタッフが修善寺『虹の郷』さんの紅葉のブログを掲載して

いましたが、私もちょうど11月が終わる頃、秋から冬に掛けての修善寺を見て来ました。



 

『茶庵 芙蓉』さん。フェイスブックで友人から教えて戴いたとっておき情報でした。

修善寺の温泉場、当社のお得意様の旅館『〇久』さんから山側に少し登ったところ、

源範頼のお墓の近くにある喫茶処です。自然が美しい素敵なエントランスに、、、

 



素敵なお部屋と建具。

 



 

そして見事な借景を活かした素敵なお庭。



花はとうに終わっていましたが、お店の名前の『芙蓉』の株が庭のあちらこちらに

ありました。

 

 

そしてご住職のご好意で年に一度、修禅寺のお庭が公開されると聞いて出掛けて

みました。(ごめんなさい、今年は11月一杯で終了してしまいました)



 

今より1200年前の平安時代、もともと開祖・弘法大師空海がこの地に、伊豆国の

寺院一千を束ねる真言宗のお寺として創建した時には、恐らく名前が修禅寺では

なかったのでしょう。修禅寺と呼ばれるようになったのは、鎌倉時代に入って禅宗

の臨済宗に改宗されてからではないでしょうか。2代将軍頼家が幽閉・暗殺された

舞台となりました。岡本綺堂の戯曲『修禅寺物語』はあまりにも有名ですが、この

本、地元の本屋さんのご尽力で修善寺では容易に手に入るのに、他の地域では

一般の書店には置いてない本だと聞きました。

 





 



 



 

 

そして室町・戦国時代に北条早雲によって再興された際に曹洞宗に再度改宗され

たそうです。『福地山 修禅寺』が現在の正式名です。

 

そしてこの庭園が造られたのは、明治38年に三島にあった小松宮彰仁親王の別邸

(三島の駅前の市立公園『楽寿園』のことです!!!)を拝領・移築して方丈・書院と

した時だと言います。建物は老朽化のため昭和の終わりに建て替えられてしまった

のですが、達磨山山麓から水を引き回遊式とした庭園は当時のままだそうです。

 







 

まだ東宮であられた大正天皇がご覧になり、『東海第一の庭園である』と仰られた

ことから、以来『東海第一園』と呼ばれるようになったとあります。

 

三島の楽寿園との意外な繋がりにもびっくり。確かに素敵なお庭でした。