2015.10.23
シリーズ・徒然読書録~泉三郎著『岩倉使節団という冒険』
あれもこれも担当の千葉です。

さてさて、仕事の秋、芸術の秋、台風の秋に続いて、読書の秋です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑とも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めて見ました。皆様

のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から気に入った本、今回は泉三郎著『岩倉使節団

という冒険』(文春新書)です。

 



 

明治4年、廃藩置県という大変革を強行してからわずか4か月後、岩倉具視、大久保

利通、木戸孝允、伊藤博文ら使節46名、随員18名、留学生43名という錚々たる

メンバーが、米国、欧州、中東、アジアを1年7か月掛けて外遊しました。まだ生まれて

間もなく、内外に問題山積する維新政府の中枢の人材ががこれほどの規模で、これ

ほどの長い期間なぜ日本を留守にしたのか。どんな体験をし、一体その後の近代日本

に何をもたらしたのか。否応なく興味をそそる大事件で、岩倉使節団については、これ

までにも先輩経営者の方に薦めて戴いた本を読んだりして来ましたが、新書版の本書は

簡潔にまとまっておりお勧めです。

 

著者の泉氏は紹介文に拠れば石原慎太郎氏に近い人物のようで、そういった政治的

見解或いは信条の下に書かれた著作であるのでしょうが、氏の主張はエピローグの

3ページにしかされておらず、大半を書記官として随行した久米邦武氏の公式紀行文

の紹介に費やし、岩倉使節団の歴史的意義を評ずる客観的な書となっています。特に

西郷隆盛をはじめとする征韓派との闘争、土佐・肥後の急進派との闘争など、使節団の

視察中と帰朝後の政権の攻防の記述は迫力があり優れており、明治初期の歴史解説

書としても楽しめます。

 

本編の最後とエピローグからの引用を幾つかして終わりにします。

 

『つまるところ、岩倉使節団の旅は、一九世紀後半の帝国主義時代、侵略が当たり前

のような時代にあって、日本がいかに独立を確保し、列強に対等に伍していくかの

課題に、真っ向から挑んだ大いなる旅であったといいうるだろう。そして近代文明の

コアをなす科学技術文明と、その応用である商工業を目の当たりにし、その「洋才」

グロバリゼイションの潮流を明確に認識すると同時に、「和魂」ともいうべき日本の

アイデンティティ、とくにモラルや礼節をいかにして保守するかを模索する旅でもあった。

その故にこそ、岩倉使節団の旅は、若々しい明治維新政府の暴挙的大壮挙であり、

まさに日本近代化の源流をなすグランドツアーであったといえるのではなかろうか。』

 

『ペリー来航以来百五十年間の日本の近代化のプロセスを概観してみると、西洋文明

の衝撃がいかに大きかったかをあらためて痛感せざるをえない。それは明治においては

米欧グローバリゼイションへの対応であり、太平洋戦争後においてはとりわけ米国的

価値観への対応だった。ただ、明治期と戦後期があきらかに違うのは、明治期の日本人

は「和魂洋才」をスローガンに日本の独自性を確保し主体性を貫こうとしたことである。

それに対し戦後期の日本人は、アメリカ的豊かさと自由さを信奉する余り、国の独立や

アイデンティティのことはないがしろにしてしまったといえよう。』

 

『今、日本人に不足しているのは、世界的視野と歴史的認識の中で、過大でも過小でも

ない等身大の日本の真の姿を見直すことであり、自らへの信頼と歴史への誇りを取り

戻すことではないのか。その意味で岩倉使節団の物語は、必ずやわれわれに知恵と

元気を与えてくれるものと信じるのである。』