2015.08.11
シリーズ・徒然読書録~林真理子著『RURIKO』
あれもこれも担当の千葉です。

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、

何かしらからだのどこかに蓄積されていれば良いという思いで、雑然と読み流します。

その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なる

ものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様

のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、林真理子著、『RURIKO』

(角川書店)。女優浅丘ルリ子の伝記小説です。

 



 

ちょうどこの7月に、日経新聞最終面の『私の履歴書』で浅丘ルリ子の連載が

ありました。とあるSNSでコメントしたところ、友人がこの本を紹介してくれました。

今から30年ほど前に大丸デパートの入り口で見掛けたことがあり、周囲に

オーラを放つような美しさだったのを覚えています。

 



 

『自分の言葉が心に向かってどれほど誠実なのか、普通の者でもわからなくなる。

ましてや自分たちは俳優なのだ。発した言葉が、かつて憶えていたセリフの切れ端

なのか、本当に今、心からでたものかわからなくなってしまう。そして旭に対する

今のこの恋心も、映画のあのシーンから続いているものではないかと信子(浅丘

ルリ子の本名)は思い一瞬ぞっとする。』

 

『カットという声で、信子の盛り上がっていたものはただちに切られる。映画というのは、

細かいワンシーンをつなげてつくられていく。どれだけの熱を各シーンで保ち、配分

するかが勝負どころだ。しかし熱を最高潮に高めた時、“カット”という声がかかることが

多い。だからいつも不満が残っていく。その不満が、うまく燃焼できない不満なのか、

役に対する不満なのか信子にはわからない。』

 

取材インタビューで窺い知れた浅丘ルリ子の女優としての感性か、はたまた林真理子の

作家としての優れた想像力の賜物か、いずれにしても女優としての複雑な心理を上手に

描写した優れた感性に、読み進みながら幾たびか感心しました。

 



 



 

浅丘ルリ子を中心に、石原裕次郎、小林旭、美空ひばり、石坂浩二たちとの恋愛や

交流に加えて、戦後の映画全盛期からテレビに浸食され衰退していく映画産業と

俳優たち、日活の盛衰、映画製作の裏舞台など、大衆文化史的な要素も楽しめ

ました。

 

(裕次郎との過酷なアフリカロケの際、生々しい奥底の感情が迸り出る。)

『唇を離した信子は小さく叫び続けた。今ここで言わなければ、自分は二度と告白

することはないに違いない。・・・信子が続ければ事態は別の方にいくかもしれない。

が、その時信子に残っていたかすかな矜持が、もうやめろと命じた。「わかっているわ。

ただ言いたかっただけだから気にしないで。」信子は星と裕次郎に背を向けて歩き出す。

もう二度とはそこには戻らないだろうと思った。』

 

(裕次郎が、映画製作で大失敗し巨額の借金を抱え込んだ時のこと)

『まき子(裕次郎の妻、北原三枝の本名)は借金を少しでも返すために、婚約指輪と

結婚指輪を除いて、宝石をすべて売り払ったという。この話を聞いた時、信子は初めて

裕次郎の妻に激しく嫉妬した。彼らがハワイへバカンスに出かけようと、豪邸の芝生の

上でくつろぐ姿を見ようと、一度も羨んだことはない。けれども今度は違った。苦難の

時に夫のためにすべてを投げ出そうとする妻は、甘美な喜びに充ちているに違いない。

信子は指輪もなく、化粧っ気もないまき子を思い、どんなに美しいだろうかと妬ましく

なった。』