2020.11.27
シリーズ・徒然読書録~『背高泡立草』と『熱源』
あれもこれも担当の千葉です。

 

 

読書は好きで、常時本を持ち歩く癖が付いてしまいましたが、読み方は極めて大雑把、何かしら記憶のどこか、心の片隅にでも蓄積されていれば良いという思いで雑然と読み流しています。暫くするとその内容どころか読んだことさえ忘れてしまうことも。その意味で、読者の皆様には退屈でご迷惑かとも恐縮しつつ、ブログに読書録なるものを記してみるのは自分にとって有益かも知れないと思い、始めてみました。皆様のご寛恕を請うところです。

 

徒然なるままに読み散らす本の中から今回取り上げるのは、古川真人著『背高泡立草』(集英社刊)と川越宗一著『熱源』(文芸春秋刊)の2冊です。2020年の年はじめ、第162回の芥川賞受賞作と直木賞受賞作です。

 



 

誰も使わず草に埋もれた納屋の周りを、なぜ自分たちが刈らねばならないのかと母に問う娘の会話から始まるこの物語は、九州(恐らくは長崎県)の小さな島の、島と島に住みついた家族の歴史、過去と現在が交互に、静かで淡々とした文章で語られてゆきます。

鯨の追い込み漁が行われ、若者が各地を廻って島に戻って来た江戸時代。戦争前、大阪へ出たい、満州へ渡りたいと鬱屈や焦燥を溜め込む夫と衝突する妻。戦後、日本から故郷朝鮮へ逃げ帰る船が転覆して島の漁師に救出され居ついた男と子供。

 

時の流れに朽ち果て絶えてゆくものと、それを当たり前のように受け継いでゆくもの。

『いつまでも続くことの不可能と、現に至るところに見出される、流れていった時間の行きつく先の景色・・・もっとも時の流れを示す眺めこそ、誰も来る者がなくなり、草の中に埋もれた納屋だった。』

いつか自分たちも来なくなれば朽ち果ててしまうものたち。もう絶えてしまった『吉川家』のために当たり前のように手入れに来る母。『毛ほどの疑問もなく口にした言葉は、そうした時間の経過をわずかばかりも感じさせないものがあるように奈美は思った。そしてそれは理屈によるものではない。』

 

凡庸な私にはあまりピンとこない小説でした。

 

 

もう一冊は直木賞受賞作の『熱源』。



 

ロシアと日本に翻弄される樺太アイヌの闘いと冒険を描いた小説で、単に日露の間で翻弄される少数民族の悲哀を描くのではなく、文明化によって民族や文化のアイデンティティの危機に晒される樺太アイヌを通して、『滅びてよい文化などない。支配されるべき民族などいない。』との強烈なメッセージが伝わって来ます。

 

1855年 日露和親条約 択捉島まで日本、得撫島からはロシアと国境決定。樺太は定まらず『共同領有』
1875年 千島樺太交換条約 樺太はロシア領、千島全島は日本領

1904年 日露戦争 南樺太を日本に割譲、ソ連邦成立の混乱に乗じ数年間日本が北樺太まで占領
1945年 第二次大戦後 樺太全域、千島全島をソ連が占領、現在に至る

 

千島樺太交換条約でロシア領となった樺太に残ったアイヌの方が多かったが、希望するアイヌは北海道へ移住。日本文化を押し付けられることになります。

『文明が、樺太のアイヌたちをアイヌたらしめていたものを削ぎ落していくように思えた。自分たちはなんの特徴もないつるりとした文明人になるべきなのだろうか・・・日本に呑まれるような立場』

『幻想だ・・・文明ってのに和人は追い立てられている。その和人に、俺たち樺太のアイヌは追い立てられている。』

『彼ら未開人は、我ら(和人・日本人)によって強化善導され、改良されるべきなのです』

 

そして日露戦争後に日本領となった樺太の開拓のため主人公ヤヨマネクフたちは強制的に再び樺太へと渡ることになります。樺太にはアイヌの他にも、オロッコやギリヤーク(ニグブン)などの原住民がおり、ロシア人の進出で森が焼かれ漁場も奪われ貨幣経済に巻き込まれ、文明の波に押し流されて行く運命を辿っていました。

『文明的な産業と文明を知る教育がギリヤークに必要と思えた。だがその二つを得たとき、そこには誰が残るのだろう。極寒の風土に研ぎ澄まされた滑らかな風貌だけが先祖を思わせる、ロシア帝国の勤勉な市民。それは果たして誰なのだろう』

 

また、樺太はロシア・ソ連の流刑地とされており、抑圧されたリトアニア人やポーランド人流刑者など、国を奪われた民族の苦悩が重層的に描かれています。

『私が生まれ育った国はロシア帝国に呑み込まれ、ロシア語以外は禁じられています。国の盛衰はともかく言葉を奪われた私たちはいつか、自分たちが誰であったかということすら忘れてしまうかもしれません。そうなってからでは遅いのです。』

 

日本人の父とアイヌの母を持ち樺太で生まれ北海道で育ち樺太に戻った太郎治。樺太アイヌとして生まれ北海道で育ち教育を受けて樺太に戻ったヤヨマネクフとシシトラカ。国が地図から消滅しサハリンに流刑となり樺太アイヌと結婚して子をなしたポーランド人のピウツスキ。故郷はどこなのか。自分は誰なのか。

『アイヌを滅ぼす力があるのなら、その正体は生存の競争や外部からの攻撃ではない。アイヌのままであってはいけないという観念だ。いずれ、その観念に取り込まれたアイヌが自らの出自を恥じ、疎み始める日が来るかもしれない。学校がアイヌを滅ぼすのかもしれない』

『いつか見た故郷、小さな木幣、たなびいた煙。悲しい経験ばかりだが、それらに突き動かされてここまで生きて来た。親友に今、なお生きよと諭された。生きるための熱の源は、人だ。人によって生じ、遺され、継がれて行くそれが熱だ。自分の生はまだまだ止まらない。熱が、まだ絶えていないのだから。灼けるような感覚が体に広がる。沸騰するような涙がこぼれる。熱い。確かにそう感じた。』

 

1945年8月9日 ソ連、突然の満州侵攻、樺太でも国境で越境、11日から戦闘本格化

『どうして誰も、この島を放っておけないのだ。人が住んでいる。ただそれだけではどうしていけないのだ。どうしてこんなに嵐が吹き荒れるのか。』

『戦争も何もかも、生きてる人間が始めたんだ。生きてる人間が気張らなきゃ、終わんないだろ。あたしもあんたも、まだ生きてる。なら、できることがある。黙って見てろ。あたしたちは滅びない。生きようと思う限り、滅びないんだ。』

『また会えるかは、わからない』『あたしだって、四十年前にあんたに会ってるなんて思わなかったよ』『「次」とか「また」とか「まさか」ってのは、生きてる限り、あるもんさ』

 

とても多くの要素が盛り込まれたために少し消化不良の印象もありますが、それを補ってなお余りあるほどに『熱い』小説でした。

『私たちは・・・その摂理(弱肉強食)と戦います。・・・弱きは食われる。競争のみが生存の手段である。そのような摂理こそが人を滅ぼすのです。・・・人の世界の摂理であれば、人が変えられる。人智を超えた先の摂理なら、文明が我らの手をそこまで伸ばしてくれるでしょう。私は、人には終わりも滅びもないと考えます。だが終わらさねばならぬことがある』

『アイヌって言葉は、人って意味なんですよ。強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きて行くのだ。すべてを引き受け、あるいは補い合って。生まれたのだから、生きていいはずだ。・・・もし祈りの言葉が忘れられても、言葉を奪われても、自分が誰かということさえ知っていれば、そこに人(アイヌ)は生きている。それが摂理であってほしいと願った。』