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2013.07.16
盛岡紀行③~平泉・兵どもが夢の跡
あれもこれも担当の千葉です。
ひと月半も前になってしまいました。5月末の盛岡からの帰り道の午後、折角なの
で富士山より2年早く、平成23年に世界文化遺産に登録された平泉を訪れました。
平泉の世界遺産登録(『平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡
群』)の経緯については、その日の午前中、盛岡在住の直木賞作家・高橋克彦氏が
記念講演の中で触れていました。
当初、平泉を奥州藤原氏の浄土思想による統治の実証となる史跡群として文化遺産
登録を目論んでいたが、仏教によって民を治め平泉の地にこの世の極楽浄土を実現
しようとしたとする証拠は確認できないとの厳しい評価で、登録のためには戦略の再
構築が必要とされていたところに3.11の大震災が起こり、暴動や略奪があってもお
かしくないような過酷な状況下でも整然と冷静にお互いが助け合い譲り合う人々を見
て、ユネスコの委員達がなるほどこの東北の地には極楽浄土が存在するとして世界
遺産登録を認めた、という裏話です(真偽の程はおくとして)。
奥の細道の中で、芭蕉は平泉では2つの句を残しています。うち1つは中尊寺・金色堂
の句で、『五月雨の降り残してや光堂』。余りにも神々しくて五月雨(梅雨)も金色堂だ
けには降りかからないようだ、と解されますが、金色堂の保護のために覆堂(おおいど
う)と呼ばれる建物が金色堂を覆っています。ご覧の現在の覆堂は昭和43年の竣工。
芭蕉が平泉を訪れた時にも、旧覆堂が金色堂を覆っていたので、芭蕉の句は物理的
にも五月雨に濡れないこととかけているのでしょう。
中尊寺には金色堂と並んでもう1つ人気スポットが。7月6日の日経新聞の土曜日版
別冊の『NIKKEIプラス1』の何でもランキングでも、一度は訪れてみたい坂の第5位
に上げられていた『月見坂』。マイナスイオンたっぷりの雰囲気のある参道です。
中尊寺を降り切った少し南側、道路沿いに武蔵坊弁慶の塚がありました。
道路を挟み見上げる小高い丘が義経最期の地と言われる高館(たかだち)・義経堂。
藤原氏滅亡から500年、この地に立った芭蕉はもう1つの有名な句を残します。
『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』
更にもう少し南に行くと毛越寺(もうつうじ)。広大な大泉が池を中心にした伽藍跡と
浄土庭園。
平安後期の奥州藤原氏の栄華の跡としては中尊寺よりもむしろこの毛越寺の方が
私にはイメージがぴったりと来ました。
最後に車から見えたセブン・イレブンの看板。何か違和感が。良く見ると景観に配慮し
て色が通常のものとは変えてありました。他にもコメリさんもモノトーンの色合いだっ
たり、街ぐるみで世界遺産を守っているようでした。
2013.07.13
盆の入り~ほおずきトマト
あれもこれも担当の千葉です。
私の地域では新暦7月にお盆をします。今日が盆の入り。夕方、私が部屋でのほほんと
している間に、迎え火が焚かれ、茄子と胡瓜の牛と馬に乗ったご先祖様方をお迎えし、
お霊供膳でおもてなししてありました。お霊供膳も正式なものかわかりませんが、ご先祖
様、どうか気持ちを酌んでお許し下さい。
少し前の7月9日・10日は、浅草は浅草寺さんのほおずき市、四万六千日分のご利益
があると言われる功徳日でした。フェイスブックで友人とほおずき市のことを話している
時に、2年前に一度食べた食用ほおずきのことを思い出し、ネットで早速取り寄せてみ
ました。
ほおずきトマトと名付けられた食用鬼灯は、外側の皮は枯れたように葉脈だけの姿です
が、中の実は淡いオレンジ色の正にほおずきそのもの。
想定外のお味と申しましょうか、名前の『トマト』から想像する野菜の味と言うよりも、
果物の味です。食後のデザートにちょうど良いかも知れません。私には柑橘系の味
に思えましたが、妻の感想は少し若いパパイアだとのことです。是非一度お試しあれ。
2013.07.11
車は凶器の自覚を~夏の交通安全県民運動
あれもこれも担当の千葉です。
庭にヒオウギ(檜扇)の花が咲きました。夏、真っ盛りです。
判りにくい写真で恐縮ですが、剣のような葉っぱが、扇を広げたような形に並ぶことか
ら付いた名前。秋になる真っ黒な種が『ぬばたま』で、これが黒・夜などの枕詞になっ
ているとのことです(ウィキペディア他)。
例年になく早い梅雨明けの後は、連日の猛暑日+熱帯夜で、からだが順応するのも
大変ですが、皆様どうかご自愛下さい。
さて今日から静岡県下一斉に、『夏の交通安全県民運動』がスタートしました。今朝も
多くの方々が指導のために街の辻々に立って下さいました。20日までの10日間です。
朝礼では『車は人を傷つけ、殺めることができる凶器だという自覚を持て』と、何度か話
させて戴いております。鉄砲を使うのと同じように、車の運転には通常の注意以上の注
意が要求されます。そのため、交通事故の加害者の罪は、単なる過失犯ではなく、
重過失犯(業務上過失や危険運転罪)になる訳です。心して運転に臨み、安全に心掛
けたいものですね。
また、交通ルールを守ることも極めて大切です。『参加者全てがルールを守る』という
前提があって初めて危険が回避されるのです。信号無視などは、ラウンドが終わり
ゴングが鳴って振り向いた相手を後ろから殴り倒すようなことです。うかうか安心して
試合など出来なくなってしまいます。
交通マナーを守る、優しい運転をすることも、交通安全のためだけではなく、思い遣り
のある子供達を育てる大人・社会の務めですね。
入学シーズンの頃の静岡新聞の朝刊のコラム『大自在』です。
・交差点の中で車線変更する
・右左折や停止の直前に(同時に)ウィンカーを出す
・横断歩道を渡ろうと手を挙げている歩行者がいても平気で通り過ぎる
・歩行者を確認して横断歩道の前で停止しても、反対車線の車は一向に止まらない
県外ではこういった光景はまず目にすることが無く、本県ドライバーのマナーの悪さ
を指摘する他県民の声がある、との記事です。逆に、県東部の交通マナーは比較的
に良いということを、ある署長さんから聞いたこともあります。
私の感覚では、車線変更のウィンカーを出している車に対して、スピードを落として
入れてあげる車は、東京など都会の方が多い気がします。
まあ、どちらが良い、悪いの比較は置いておいて、少なくとも皆無ではないこうした
指摘事項は心して無くしていきたいものですね。
一方で、運転者だけでなく、歩行者も交通マナーは守りたいものです。信号無視
は案外歩行者の方に多いのではないでしょうか。また、止まってもらった車に頓着せ
ずゆっくり歩いたり、中には携帯を使いながらノロノロしている歩行者も見掛けます。
小・中学生や高校生が、止まってもらった車に向かってお辞儀をしながら、小走りで
横断歩道を渡って行くのに遭遇した日などは、その日一日が幸せな気分になります
よね!きっと素敵なご両親・ご家族に大切に育てられているお子さんなのでしょう。
我々大人がまずお手本となりたいものです。
2013.07.11
オープニングイベントに行ってきました。
住宅部の杉本です。
先日、6月末にオープンしたばかりの新キラメッセぬまづへ行ってきました。
オープニングイベントとして開催されているイベントの1つに行ったのですが、
沼津駅北口の新たなランドマークとして整備中(来夏開業予定)の、
総合コンペティション施設 『プラサ ヴェルデ』 の一角となる、展示ホール・
イベント施設として、一足早くのオープンです。
以前あった、膜構造の屋根の旧キラメッセぬまづの時代に、仕事上でも
イベント等に使用したこともあったので、今度の新しい施設は、どんなかなぁ
との楽しみもありました。
旧のときは、ある意味大きな倉庫・・・みたいな印象もありましたが、
新のほうは、展示スペース以外にも貸会議室や市民ギャラリー、
市民サロンなども併設されていてる事と併せて、膜屋根だったものが
鉄骨トラス支持のコンクリート屋根になっており、外は非常に暑い日でしたが
空調も効いていました。
これから、様々なイベント等も開催されていくと思われますが、まだ施設の一部
ということで、他の工事が続けて進められています。
是非、静岡県東部全体が活性化されるようになってもらいたいですよね。
2013.07.10
熱海 起雲閣
熱海 にわか宣伝マンの本間です。
今回は、既に行ったことがある方もいると思いますが、起雲閣(きうんかく)の紹介です。
熱海市のにわか宣伝マンとしては更に多くの方に訪問していただき、熱海市の活性化にご協力をいただかなければなりませんので紹介させていただきます。
起雲閣の歴史ですが、丹那トンネルが開通した当時(1919年(大正8年))の鉄道大臣であった「内田信也」という人の実母の静養の場所として築かれ別荘で、公開されていない岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となっているそうです。
1925年(大正14年)に東武鉄道グループの礎を築き、「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎の手に移り、ほぼ現在の形となったようです。
1947年(昭和22年)には別の所有者により民間旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎えました(起雲閣という名称は旅館時代の名付けられた)。
山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、船橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきた建物です。
市街地にこじんまりと、ではあるけれど緑豊かな庭園、日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ、日本、中国、欧州などの装飾、様式を融合させた独特の雰囲気をもつ洋館などがあります。
正面入口の門(薬医門)です。
受付にとても美形の方がいました。
遠目から写真を撮ろうと思ったのですが、瞬間的に顔が隠れてしまいました。
1919年(大正8年)に海運王といわれた内田信也によって建てられた「麒麟の間」です。壁は旅館になってから塗り替えられたものですが、濃いブルー(群青色)で統一され、とても印象的でした。
館内にある洋室です。
左は神社や寺に見られる特徴と中国的装飾、アールデコが取り入れられています。
これも洋室(床のみの写真)。
こちらは英国・チューダー様式を取り入れた部屋の床です。規模は小さいが、一面にカラータイルが敷き詰められています。
洋室の隣にある「ローマ風」浴室。1929年(昭和4年)築。
かつて文豪たちが使用したといわれる部屋は展示室として解放されています。
以上一部の写真のみ紹介しました。
かなり以前の話(平成10年頃)ですが、旅館が廃業し競売物件となりました。
その際当時の熱海市長は、文化的価値を重視し、市が買い取って観光施設として活用したいと議会や市民に提案しました。しかし市財政が厳しい中で無駄使いであると散々非難されたのです。
最終的には市が買い取って現在に至っている訳ですが、結果として市内観光名所の一つとして多くの見学者が訪れていますし、また音楽サロン・ギャラリーなども市内外の方々に利用されているようです。当時の市長の判断は正しかった???
規模は小さいけれど、大正・昭和の浪漫あふれる名邸、起雲閣へ是非あなたも一度訪れてみてはいかがですか?(入館料 大人500円、水曜定休)
2013.07.07
小暑・七夕・鵲(かささぎ)の橋~地鎮祭での誓い
あれもこれも担当の千葉です。
今日は二十四節気の小暑。夏の六節気の5番目で、梅雨が明けて本格的な夏に向か
い夏の風が熱気を運んで来る頃のことです。関東甲信越は昨日梅雨明け宣言がなさ
れましたが、ここ静岡でも今日の青空は夏のそれのようで、梅雨明けも秒読みなのか
も知れません。
また、今日は七夕。年に一度、天上の想い会う二人が再会するロマンチックな夜。この
織姫と彦星が天の川を渡る橋を、『鵲橋(じゃっきょう)』と言うそうです。鵲とはカササギ
のことで、7月7日の夜、多くのカササギが飛んできて翼を広げ、天の川に橋を架けてく
れるのです。百人一首にもありましたね。『鵲の渡せる橋に置く霜の、、、、』。男女の仲
を取り持つものを広く、鵲橋と言うようになりました。東洋版キューピッドというところでし
ょうか。
今日は日本中で七夕の行事が開催されたでしょう。三島の大通りの商店街でも七夕
夜市が多くの人で賑わっていました。主催者側のお得意様や知人の陣中見舞いに顔
を出して来ました。
さてこの週末はいろいろ目白押しで、ありがたいことにとても忙しく過ごさせて貰いま
した。住宅の地鎮祭が3つ挙行され、全てに出席させて戴きました。
地鎮祭は、工事を始めるにあたって、諸々の大神様から土地の神様・産土神(うぶすな
の神)さまなどにご光臨賜り、関係者が挙り集まり、工事の安全と家々の繁栄、家族の
幸せを祈願する儀式です。私はなるべく全ての地鎮祭に出たいと思っています。という
のも、地鎮祭は、私ども工事関係者にとっては、お客様のご信頼にお応えして、工事中
の安全はもとより、往来の方々への安全にも心掛け、近隣の方々へのご迷惑を最小限
に努めながら、お客様の幸せの拠りどころとなる素晴らしいお住まいを造り上げて行く
ことを神様の前で誓い、自らに覚悟を新たにする儀式でもあるべきだと思うからです。
この週末に地鎮祭を挙行された3組のご家族には、上質な、木の温もりに満ちた新居で
幸せに満ちた新しい年を迎えて戴くことになります。
土曜日の午後には、若手社員に全権委任したプロジェクト・チームの企画・運営で、
全社員討論会とバーベキュー大会が行われました。皆が和気藹々と、楽しそうに盛り
上がっているのを見て、つくづく幸せだなぁと感謝の思い、しきりでした。
食材は買ってくるばかりでなく、それぞれが差し入れを持ち寄っていました。野菜、果
物、そして解禁になった狩野川で自ら釣った鮎を沢山持ってきてくれた仲間もいました。
立派な良い形の鮎でしょう?23~24センチのこの時期にしてはかなりの大物です。
実はこの鮎を差し入れてくれた社員本人は、少し遠方の現場を離れることが出来ず
バーベキューには参加できません。他にも何人かが仕事で参加できませんでしたが、
こうして社業を支えてくれている仲間たちにも感謝々々ですね。
いつも感心するのは片付けの素晴らしさです。片付けの号令が掛かると、各自が自ら
すべきことを判断しながらさっさと動きます。全体の差配をする者が不要というのには
恐れ入ります。30分もしない内にいくつものバーベキュー・グリルは、洗われ拭かれ、
磨き上げられていました。
いよいよ夏本番でしょうか。
2013.07.02
預かりさん
こんにちは
営業の加藤です。
梅雨の真っ只中、前に植えた芝生も根付いて、大分伸びてきました。
そんな中、我が家では今、多頭飼育現場崩壊を救済する為、御殿場のボランティアさんのお手伝いで、
ワンちゃんを1頭預かっています。
名前は「ゆめちゃん」
6月上旬に我が家に来ました。
今まで、ゆめちゃんは小山市の山の中で、5年間も小さなゲージに入れられ、人間との接触もほとんどない状態でしたので、
我が家に来ても、小屋の中で隅のほうで固まっていました。
散歩に連れて行くにも、小屋から少々強引に引っ張り出して、なるべくひと気のないところに散歩
人や車が通るたびに、びっくりして、軽いパニック状態に・・・。
人にはかなり警戒していて、近づこうとすると後ずさりしてしまいます。
しかし、ゆめちゃんは、どんなことがあっても絶対に噛まないので安心して触れます。(お風呂に入れても大丈夫)d(⌒ー⌒)
毎日、散歩と撫でていると、ゆめちゃんにも変化が見られます。
自分から小屋から出てきて、庭を散策して、枝豆の葉っぱを食べたり、
おやつをあげても、以前は手から与えても絶対に食べなかったのが、食べてくれるようになり、
散歩も、車には慣れてきて、平然と歩いてくれるようになりました。\(^▽^)/
しかしそんな中、一週間程前ですが、水路の傍を散歩中、何かの音がしたのか、急にパニックになり、
水路に落ちてしまいました。( ̄□ ̄;)
(妻が偶々激写!)
日々の成長に喜びを感じつつ、毎日、試行錯誤しながら、一日でも早く人間との共生社会になれて、
里親さんとの幸せな時間を過ごしてもらいたいと、毎日願っています。(^人^)
2013.06.28
献血
総務三須です。
先日、会社構内におきまして、献血が行われました。
すっかり恒例となった献血。今では年に3回定期に行われています。
今年もたくさんの社員や協力会社の皆さんが、献血に協力してくださいました。
やさしい看護師さんのおかげで、痛い注射も、ご覧のとおり全くの余裕!?
私も何年か前から、年に2~3回程度協力しています。
そして今回でちょうど通算20回目の献血となりました(何回やっても余裕はありませんが)。
今回も無事終わりました。
献血をすると、終わった後に必ず何か記念品がもらえるのですが、5回目、10回目などの区切りの回数の時には、いつもと違ったちょっと豪華なものがいただけます。
ということで、今回は少し期待!
終わった後に、20回の記念品はあるのですか?と聞いたところ、残念ながら無いとのこと。
次の区切りの回数はなんと『100回目』!!だそうです・・・
100回目までは頑張れそうもありません。。。
ですが、これからも少しでも誰かの役に立てればという気持ちで続けたいと思います。
皆さんもいかがでしょうか?
7月は「愛の血液助け合い運動」月間です。
2013.06.27
盛岡紀行②~高橋克彦氏の講演と園児たちの『空より高く』
あれもこれも担当の千葉です。
夏至が過ぎいよいよ夏の野菜が美味しくなる季節ですね。昨晩のお料理にも、ミョウ
ガやオクラが添えられていました。
さて、先月の盛岡行きの第2弾です。
経済同友会の全国セミナー2日目に、盛岡在住の直木賞作家、高橋克彦氏の講演が
ありました。演題は『和のこころ』。大変面白かったので、概要を記してみますが、文責
は偏に私にあります。
・『和』とは、なごむ、協調する、共に手を携える、といった意味である。
・歴史は勝者が書くものが残る。東北地方は古代からこれまでに5つの大きな戦いに
全て負けたために、東北地方の本当の歴史が残っていないのが残念である。
(これが名作『炎立つ(ほむらたつ)』の執筆の動機だったのかなと想像しました。)
・しかし、言葉から文化や歴史を窺い知り、推測することはできるはず。
・『大和』と書いて『ヤマト』と読ませるのは何故か。中国の歴史書に出てくる日本の呼称
『倭(わ)』と新朝廷・新部族『ヤマト』を結び付ける必要があったからであろう。即ち、そ
れまでの王朝・部族『倭』を継承又は征服した『ヤマト』が、大陸中国から日本統治のお
墨付き・正統性を得 るために、倭の国からの国譲り(連続性)があって出来たのが大き
な倭の国、即ち『大和』と称したのではないか。
・この仮説の根拠は、大国主命の国譲り伝説で、高橋氏は、ヤマト朝廷は倭の国の大
国主命を出雲に幽閉した征服王朝と考えている。倭の国の民の多くは、九州や東北
地方に逃れたために、大国主命を祭る神社の8割が東北と九州にあるとする。
・現代に至るまで、『和食』、『和風』など、日本古来・固有のものに『和(わ)』の字を使う
のは、日本人はヤマトの民ではなく倭(和)の民だという意識があるからだ。
ヤマト朝廷が古事記・日本書紀に書かせた大国主命の国譲りについては、諸々の説
があり、高橋氏の仮説は、全くあり得ない訳ではないとしても、少し強引な感じがしま
した。しかしそれも、高橋氏の東北地方への強い愛着の故ではないでしょうか。1993
年のNHKの大河ドラマとなった小説『炎立つ(ほむらたつ)』も、それまでなかった敗
者から見た東北地方を描こうと思われたのではないでしょうか。
『炎立つ』は、前九年・後三年の役や義経討伐を中心に、平安時代から鎌倉時代まで
の東北地方を舞台にした歴史小説で、この間の東北地方の覇者である、安部氏・
清原氏・藤原氏(いずれも婚姻などを通して大きな意味での同族)の興亡を、朝廷や
幕府といった中央権力に対峙する地方という、敗者の側の視点から描かれたもの。
講演を聴いて、ヤマトに対する倭の民としての矜持が書かせたものかと拝察する。
2日間のセミナーの最後に、盛岡市内の幼稚園児が登場し、感動的な詞の『空より
高く』を合唱してくれた。3.11の震災後に、二戸市の幼稚園児が、被災した方々を
応援しようと合唱したものを、ラジオ局が流して多くの感動を巻き起こしたと言われて
いるものです。
著作権の問題もあるため、出だしだけ記します。全体は下記のサイトをご覧下さい。
http://www.uta-net.com/song/137185/
作詞:所沢としひこ 作曲:中川ひろたか 『空より高く』
人は空より高い心をもっている
どんな空より高い心をもっている
だからもうだめだなんて あきらめないで
涙をふいて歌ってごらん
君の心よ高くなれ
空より高く高くなれ
園児達が一生懸命歌うのを聞いていて、涙が溢れて来ました。
2013.06.27
完成見学会のご案内
山本です。
今回は、来る6月29日(土)30日(日)に開催される完成見学会のお知らせです。
会場は、長泉町納米里(JR御殿場線、長泉なめり駅より線路沿いを南に200m程度下った辺り)です。
建物のテーマは、『おもてなし』・『エコ』・『豊富な収納量』・『安全』です。
第一のポイント『おもてなし』は、玄関を入るとすぐに感じることができます。
中霧島壁(火山灰シラスを原料とした塗り壁)が、手作りの柔らかい表情と色合いで迎え入れてくれます。
また、『和室』の造りも見所のひとつです。
第二のポイント『エコ』への取り組みは、『オール電化+太陽光発電』です。
『オール電化+太陽光発電』は最近では珍しくはありませんが、
こちらのお宅は照明器具がすべて『LED照明』を使用しております。
第三のポイント『豊富な収納量』は、空間を積極的に利用しようと考えました。
外観にもアクセントを与えている、出窓を利用した収納は特に注目です。
第四のポイント『安全』は、現段階では壁の中に隠れてしまい確認することはできませんが、
弊社自慢の耐震等級3仕様の構造体に『制震ダンパー』をプラスして、さらに地震に強い構造となっております。
本当は、この場でもっとお伝えしたい事がたくさんあるのですが、
あまり書き過ぎると、当日、皆様にご来場いただけなくなりそうなので、程々にしておきたいと思います。
当日は、皆様のご来場をスタッフ一同、こころよりお待ちしております。
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ACCESS
ひと月半も前になってしまいました。5月末の盛岡からの帰り道の午後、折角なの
で富士山より2年早く、平成23年に世界文化遺産に登録された平泉を訪れました。
平泉の世界遺産登録(『平泉~仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡
群』)の経緯については、その日の午前中、盛岡在住の直木賞作家・高橋克彦氏が
記念講演の中で触れていました。
当初、平泉を奥州藤原氏の浄土思想による統治の実証となる史跡群として文化遺産
登録を目論んでいたが、仏教によって民を治め平泉の地にこの世の極楽浄土を実現
しようとしたとする証拠は確認できないとの厳しい評価で、登録のためには戦略の再
構築が必要とされていたところに3.11の大震災が起こり、暴動や略奪があってもお
かしくないような過酷な状況下でも整然と冷静にお互いが助け合い譲り合う人々を見
て、ユネスコの委員達がなるほどこの東北の地には極楽浄土が存在するとして世界
遺産登録を認めた、という裏話です(真偽の程はおくとして)。
奥の細道の中で、芭蕉は平泉では2つの句を残しています。うち1つは中尊寺・金色堂
の句で、『五月雨の降り残してや光堂』。余りにも神々しくて五月雨(梅雨)も金色堂だ
けには降りかからないようだ、と解されますが、金色堂の保護のために覆堂(おおいど
う)と呼ばれる建物が金色堂を覆っています。ご覧の現在の覆堂は昭和43年の竣工。
芭蕉が平泉を訪れた時にも、旧覆堂が金色堂を覆っていたので、芭蕉の句は物理的
にも五月雨に濡れないこととかけているのでしょう。
中尊寺には金色堂と並んでもう1つ人気スポットが。7月6日の日経新聞の土曜日版
別冊の『NIKKEIプラス1』の何でもランキングでも、一度は訪れてみたい坂の第5位
に上げられていた『月見坂』。マイナスイオンたっぷりの雰囲気のある参道です。
中尊寺を降り切った少し南側、道路沿いに武蔵坊弁慶の塚がありました。
道路を挟み見上げる小高い丘が義経最期の地と言われる高館(たかだち)・義経堂。
藤原氏滅亡から500年、この地に立った芭蕉はもう1つの有名な句を残します。
『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』
更にもう少し南に行くと毛越寺(もうつうじ)。広大な大泉が池を中心にした伽藍跡と
浄土庭園。
平安後期の奥州藤原氏の栄華の跡としては中尊寺よりもむしろこの毛越寺の方が
私にはイメージがぴったりと来ました。
最後に車から見えたセブン・イレブンの看板。何か違和感が。良く見ると景観に配慮し
て色が通常のものとは変えてありました。他にもコメリさんもモノトーンの色合いだっ
たり、街ぐるみで世界遺産を守っているようでした。